Bloody's Tea Room
Team SPIRITS Web Master 「Bloody]の趣味の世界へようこそ

2018/02/18 15:32更新 

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〜Story1〜

Blue Train

東京駅、かつてははるか西を目指す旅立ちの拠点であったプラットホームも、今や通勤電車が三分間隔で発車する通勤通学の大ターミナル。そして旅立ちの光景もいつしか在来線ホームから新幹線ホームへと移り、その新幹線ホームでさえ出張へ向かう慌しいビジネスマンたちが足早に行き交う光景のほうが目立つ。
日本人は旅の行程を楽しむということを忘れてしまったのだろうか?
そんなことを考えながら、私は東京駅十番線ホームに足を向けた。十番線は東海道線の出発ホーム。大抵の時間は通勤電車か伊豆方面への特急電車の発車ホームとして使われている。しかし一日のうちに一瞬だけ、昔ながらの旅立ちの光景を見ることが出来る。それは九州へ向かうブルートレインの発車する時間。まさに時代は昭和へとタイムスリップする。 そんなタイムスリップを味わいたくて私は九州出張の移動手段としてブルートレインを使ってみることにした。

十番線ホームへ登ってみると、既に九州への旅立ちを待つブルートレインの姿があった。昭和後期に製造された客車は既に製造後三十年を経過し、くたびれた印象は否めない。そしてかつて隆盛を極めたブルートレインも今や東京駅発着列車は一往復のみ。もちろん乗客の減少が次々と列車を廃止に追い込んでいったのだ。 そして最後の一往復も半年後には廃止に追い込まれる。
しかし、いくら乗客が少なくても、くたびれた客車であっても、ブルートレインの出発シーンは特別な旅情を思い起こさせる。「ピーッ」と鳴る機関車のホイッスル、各車の扉で別れを惜しむ恋人たちや家族、そして長い発車ベル。全てが現在の電車の発車シーンとは一線を画している。 ホームの案内放送も『特急寝台』という。この光景が見られなくなってしまうと思うと残念でならない。
私は指定番号のB寝台二段ベッドへと足を運んだ。荷物を置いて窓際の補助椅子へと腰掛けた。発車のベルが鳴りやみ、機関車がひときわ長いホイッスルを発した後、ゆっくりとブルートレインは東京駅を 発車した。窓の外には夜へ向かって輝き始める東京の街の灯りがゆっくりと去り行く。有楽町を過ぎると昔ながらのチャイムが鳴り、車掌から列車内設備と到着時刻案内の放送が延々品川駅まで続く。そんなブルートレインの旅情に浸りながら、私は三十年前の自分を思い出していた。そう、小学生の自分を。

昭和53年、時はブルートレインブームの絶頂。ブルートレインに乗ることは僕たちの憧れ。そしてブルートレインのきっぷは発売開始と同時に売り切れるほど 手に入れるのが難しいきっぷだった。
乗り物が大好きだった僕は、どうしても夏休みにブルートレインに乗りたかった。夏休みに九州の親戚の家へ行くための旅程表を作ってお父さんを説得した。 本当は親戚の家に行くのが目的ではなく、ブルートレインに乗るのが目的だったのだけど・・・。
お父さんは毎日庭掃除をすることを条件にきっぷを手に入れてくれた。会社を抜け出して買ってきてくれたきっぷをぶっきらぼうに渡すお父さんを見て、ちょっと誇れる気がした。 本当は僕がブルートレインに乗るのが目的だと分かったに違いない。

いよいよ出発の日、 僕にとって憧れのブルートレインはワクワクの連続だった。満員の車内へリュックサック一つで乗り込んだ僕は一目散に自分の寝台に向かった。二段式B寝台の上段。早速荷物を置いて財布だけを持って車内 探検して回った。十四両編成もの長い編成の隅から隅まで歩き回り、A寝台個室の豪華な客室に見とれ、食堂車の華やかな雰囲気を楽しみ、気がついたら列車は熱海に到着していた。
そんな僕に、ブルートレインの車内で出会った人たちは親切だった。車掌さんは
「あとで一号車の車掌室においで」
と声をかけてくれ、車掌室に出向いた僕に「特別だよ」と言って車掌室に入れてくれた。そしてブルートレインの設備や車掌さんの仕事についていろいろと教えてくれた。
四人ボックス二段寝台の向かいとなった小さい男の子を連れたお母さんはしきりに「えらいわねえ」と言いながらポテトチップとジュースを分けてくれた。
でも、一番印象に残っているのは僕の下のベッドに乗ってきたお姉さんだった。背がすらりと高く、長い足にジーンズが似合い、長い髪をふわりと仕上げ 、ちょっと柔らかい香りのする香水をつけていた。僕は自分のベッドの下がこんなにきれいなお姉さんでちょっと嬉しかったけど、僕からはなかなか話しかけられないでいた。そんな僕に向かってお姉さんのほうから向かってこう聞いてきた。
「君はどこまで行くの?一人?」
「僕は宮崎まで行きます。宮崎に親戚がいるんです。どうしてもブルートレインに乗りたくて父にきっぷ取ってもらいました。帰りもブルートレインで帰ってくるんです。」
僕はそう言ってお姉さんに旅程表を見せた。
「よく両親が了承したわね。でもこの旅程表、自分で作ったの?すごいわね。」
「昔から乗り物が好きで、時刻表とかよく見ていましたから。」
「私なんかこの年になっても地図も時刻表もまともに見れないわよ。尊敬しちゃうな。」
お姉さんに褒められてちょっと有頂天になった僕は自分の知っているブルートレインの豆知識を一生懸命お姉さんに話した。僕の話すブルートレインの話題は彼女にとって楽しかったようで、すっかり意気投合して一緒に食堂車でご飯を食べることになった。きれいなお姉さんと二人で食べる食堂車のハンバーグ定食はとても美味しかった。一緒にいるお姉さんがきれいだから回りのお客さんに自慢したいような気分だった。
「私も初めてブルートレインに乗ったんだ。大分にお友達がいるから会いに行こうと思って。」
僕よりも先に下りてしまうのがちょっと残念だった。
「大分ではね、このブルートレインの後ろ半分を切り離すんだ。だからこの食堂車も大分までしか行かないんだよ。一緒に切り離しの作業を見ようよ。」
僕はお姉さんにブルートレインのことをいろいろ教えてあげたかった。お姉さんはニコニコしながら僕の話を聞いてくれた。
やがて夜が更け、室内の灯りが暗くなったのでベッドに上がった。お姉さんが下のベッドにいると思うとちょっとドキドキしたし、ブルートレインに乗っている興奮もあってなかなか寝付けなかった。結局ウトウトしたくらいでほとんど眠れなかった。 そして寝たくなかった。
翌朝ブルートレインは九州に入った。朝、目覚めてからも僕はお姉さんにいろいろ教えてあげた。下関と門司の間の関門トンネルのこと、門司駅で交流と直流が切り替わること、機関車をこのためだけに付け替えること。お姉さんは やっぱりニコニコしながら僕の話を聞いてくれた。そして決まってこう言った。
「君は本当に物知り博士ね。ブルートレインのことだけじゃなくって乗り物のこといっぱい知っているんでしょ?」
その度に僕はちょっと恥ずかしい気持ちがした。でもお姉さんが喜んでくれるから僕の知っていることを一生懸命話した。 バスのこと、クルマのこと、軍艦のこと、そして電車のこと、
やがてブルートレインは日豊本線に入り、別府駅を出発した。次はお姉さんの降りてしまう大分駅だ。お姉さんは大分に到着する直前からちょっとそわそわしていた。最後まで話をしていたかった僕 にはちょっと残念だった。大分駅のホームにブルートレインが滑り込んでいったとき、お姉さんは窓に顔をくっつけるようにホームを見ていた。やがてホームに一人の男の人を見つけて笑顔で手を振った。そう、僕には見せ るニコニコした笑顔とは違う、まさに太陽のような笑顔で・・・。
「お姉さん、一緒に切り離し作業見ようよ。」
僕は思い切って言ってみた。断られると思っても・・・
「ゴメンね。友達が迎えに来てしまっているから、君と一緒にはいられないの。」
お姉さんは申し訳なさそうに僕に言った。
「でも、君と一緒にブルートレインに乗れてよかった。楽しかったよ。一生の思い出になったよ。ありがとう。これからの旅を楽しんでね。」
僕はただ「うん」とだけ答えた。

そんな自分の過去を思い出しながら私は当時とほとんど設備の変わらないブルートレインの車内から流れ行く景色を見つめていた。あの時の彼女と同じような姿勢で・・・。
「あの時の彼女の笑顔が恋人だけに見せる笑顔なんだよな。考えてみればあれが僕の初恋か?そして最短時間で振られた記録かもな。でもブルートレインというシチュエーションと長い乗車時間がなければ絶対にあんな思い出は作れないな。」
ふと笑みを浮かべた私は缶ビールのプルトップを抜いた。気がつけばブルートレインは横浜に到着しようとしていた。ホームに目を向けると若い女性が一人でこの車両に乗り込んでこようとしている。その女性の姿にお姉さんの幻影が重なって見えた。
 

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