Bloody's Tea Room
Team SPIRITS Web Master 「Bloody]の趣味の世界へようこそ

2018/02/18 15:32更新 

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〜Story5〜

Milky Way

久しぶりに東京タワーに立ち寄った。会社からもほど近い東京タワーには、かつてよく立ち寄ったものだ。仕事の悩みがあったり、嬉しいことがあったり、ちょっと散歩したくなったりすると、よく会社の帰りに足が向いたものだ。ほとんどの場合はぶらりと展望台に行って夜景をぼうっと眺め、コーヒーを一杯だけ飲んで帰るだけなのだが、不思議と心が静まる感覚を覚えたものだ。ところが歳を重ねて仕事の責任感も増え、家庭を持って時間もなかなか取れなくなった最近は、帰りにぶらりと立ち寄ることもやめてしまっていた。
今日はなぜ足が向いたのか分からない。ただ、梅雨のしとしと雨の中でぼうっと霞んでそびえている赤と白のタワーを見てふと懐かしい感覚に包まれてしまったからかもしれない。

展望台に向かうエレベーターの中では昔と同じ録音音声による観光ガイドが放送される。「高さ333m。築年昭和33年・・・」かつては全部暗記していたものだ。ところが今日は録音音声に続いてエレベーターガールが付け加えた。
「本日はClub333にてストリートミュージシャンによるライブが開催されます。また天の川イベントといたしましてイルミネーションを展示中です。どうぞごゆっくりお楽しみください。」
その声を聞きながら、私は鮮やかにかつての記憶を手繰り寄せていた。そう、数年前の七夕の日を。

仕事のことでイライラしていた私はその日も東京タワーにやってきた。なにかあると必ず帰宅前に東京タワーに行くのが私の習慣になっていた。会社からいやなことを引きずったまま家に帰りたくない。そんな私に東京タワーの夜景は不可欠な存在だった。イライラにしていたので会社を定時で切り上げたこの日、展望台に上がった時にはまだ空は明るかった。梅雨特有の垂れ込めた雲が地上よりも近く感じられ、夕焼けもなく徐々に闇に包まれてゆく東京の街は何気に寂しく感じた。私は仕事のことを思い出しながらただぼうっと展望台からの景色を眺めていた。

どのくらいの時間が経過しただろうか?ふと我にかえってみると周囲はざわざわと人々が集まり、喧騒に包まれていた。
「何があるんだ?」
経験のない混雑にちょっとビックリした私にやがて答えが音となってやってきた。軽妙なピアノの旋律と共にサックスの音色が重なり、やがてスタンダードジャズのメロディーとなって響き渡った。
「ライブやってるなんて知らなかったな。」
何度も訪れている東京タワーの知らない一面を見た私はちょっと得した気分になり、思わず声に出してしまった。
「毎週木曜日にはこのClub333でライブをやっているのよ。」
私の独り言に答えるかのように隣から声が聞こえた。自分に向かって答えてくれたと勘違いした私は思わず
「そうなんですか。今まで何度も来ているのに全然・・・」
隣を振り返りながらお礼を言おうとした私は思わず苦笑した。隣の女性は一緒に来ていた友人に対して説明していたらしく、顔は私のほうではなく反対を向いていた。私は恥ずかしくなって思わず口をつぐみ、照れ隠しのためにそのまま視線を回して窓の外へと目を向けた。勘違いもはなだなしい・・・。しかし、窓の向こうに映る東京の夜景のなかで隣の女性が私に向かってこう言っていた。
「全然・・・なんですか?」
「え、あ・・・」
私はさらに恥ずかしくなり、口ごもってしまった。窓の中で彼女はにっこりと笑っていた。彼女の笑顔に誘われるように私の言葉がスムーズに出てきた。
「こんなライブを定期的にやっているなんて全然知らなかったです。」
お互いに窓の外に向かっての会話はなんとなく心地よかった。窓越しになら恥ずかしくもなく目を合わせられる。
「毎週木曜日にやっているんですよ。ミュージシャンは毎週変わるのですけど、私はかなり頻繁に見に来ています。」
「七夕だからというわけではないんですね。」
「そう。今日は七夕だからちょっと有名なミュージシャンが来ているので混んでますね。いつもはもっと空いているんですよ。」
「そうですか。なんだか雲の上のライブのようで心が安らぎますね。私は東京タワーに来てぼうっとすることで一日のいやなことを忘れてから帰宅するのが好きなんですよ。でもこのライブのおかげで一つ東京タワーに来る楽しみが増えたなあ。」
「じゃあ、これからも木曜日にお会いすることが多くなるかもしれませんね。」
「七夕スペシャルでやっているライブだったら、織姫と彦星みたいに年に一度しか会えないですからね。」
「しかも窓越しに?」
彼女はちょっといたずらっぽく笑っていた。私はゆっくりと彼女のほうに顔を向けた。彼女もゆっくりと私のほうを振り返り、やがて視線が絡み合った。
「やっと本物の目を見ることが出来ました。」
私が言うと彼女は目尻を下げてにこりと笑った。
「夜景に浮かんでいるような感覚でのおしゃべりも良かったですよ。」
ジャズの調べはクライマックスに向かい、私たちはしばしステージの音色に聞き惚れた。短時間ながら心が満たされる時間。この時間が永遠であるかのような感覚に包まれた。私は今日という日に感謝し、そして毎週木曜日は東京タワーへ行こうと心に誓った。

毎週木曜日の東京タワー展望台、暗黙の了解のように会い続けた私たちはやがて結婚した。思い出してみると一緒にいることがあたりまえになっていた。お互いに「なくてはならない存在」というのはこんな風に築かれるのかもしれない。
そんな想い出に浸っていた私を乗せたエレベーターはやがて展望台に到着した。エレベーターを降りると、既にギターの調べが低く響いていた。当時なかった天の川のイルミネーションがステージの天井を埋め尽くしていた。きらびやかなイルミネーションとギターの音色はあまり似合わない。私は昔を思い出して窓の外に目を向けた。そこには東京の夜景の上にふわりと浮かんだ天の川が映りこんでいた。梅雨に霞む東京の街は、まるで天の川の涙を受け止めているかのようだった。
「なんであなたは独りで来たの?」
窓の夜景には私の顔しか映っていない。隣にあるべき彼女がいないことに対して天の川がそう言って泣いているような気がした。
「もう一度妻を口説こう。」
私は夜景のなかに彼女の顔を浮かべ、かつての私たちの姿と重ね合わせていた。

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