Bloody's Tea Room
Team SPIRITS Web Master 「Bloody]の趣味の世界へようこそ

2018/02/18 15:32更新 

当ホームページは[Bloody]の完全なる自己満足の世界で成り立っております。
読者の皆さんも喫茶店感覚でお楽しみください

 

〜Story9〜

Don't Move

会社を一週間休んだ。学校を卒業し、順調に就職し、気がつけば一昔を会社で過ごしていた。出世するつもりもなかったが、その場その場で一所懸命に働いてきた結果、同期の中では最初に管理職になり、そして日常に埋没する生活を過ごしていた。
ある日ふと考えた。
「本当にこのままでいいのだろうか?」
このまま会社という組織の中で日常を送り、やがて老いてゆく。もっと自分に出来ることは?もっと新しいことは?もっと世界は広いのでは?考え始めると仕事も遊びも手につかなくなった。張り詰めていた気力が一気に萎んだようなそんな感覚になり、自分の中でやがて「焦り」のようなものが膨れ上がった。
私は一人旅に出かけた。行き先は冬の東北。雪深く埋もれた東北の秘境温泉に無性に籠りたくなったのだ。普段ならば会社で忙しく仕事の処理に追われている時間帯、温泉にのんびり浸かって雪を見ている贅沢。それだけで私は満足していた。ちょっとした息抜きは自分にとって必要だったのだと私は感じた。

滞在3日目の昼間、私は朝食後に一眠りして昼前に起き出し、タオル片手に露天風呂へ向かった。その日の天気も快晴で、湯煙が立ち上る青空がまぶしかった。大抵この時間帯に客はいない。宿泊客はほとんどがチェックアウトを済ませ、日帰り入浴客は午後にやってくるからだ。ところがこの日は先客がいた。
「こんにちは!」
私は先客に声をかけた。どう見ても私の倍は生きていると思われる年配の客は、白髪を太陽と雪の光に反射させながら私のほうを振り返った。
「いやあ、どんぞどんぞ!」
人懐っこい笑顔で私を迎えた初老の彼はお国言葉で歓迎した。
「あんやめんずらしいな。こんな普通の日の真っ昼間にあんだみたいな若い人が来るっつーのは。」
「ええ、一昨日から宿泊しています。会社に長期休暇を貰ったのでのんびり温泉に浸かってます。」
「ここの湯はええじゃろう。源泉かけ流しのしんろいお湯じゃからな。」
「一日に何度も入っていますよ。おかげで帰るのがいやになってきました。」
私はそういって笑った。
「あんさん、仕事は何をやっとるんじゃ?」
「電機メーカーに勤めてます。普通のサラリーマンですよ。」
「あんや、この不況で大変なんじゃろ?」
「まあ、仕事は忙しいですね。こんなにのんびりできることはまずありません。せっかく休んでいるのに、結局は仕事のことを考えてしまうんですよ。あなたは?」
「いやあ、おらはもう引退したっけから悠々自適じゃよ。だから真っ昼間から温泉なんぞ入っとる。」
しばらく私たちはこの土地の話に花を咲かせた。山形と福島の県境にあるこの地には温泉が多数あり、彼はほとんどの温泉を回ったらしい。どこそこの蕎麦屋が美味しいとか、夜の街ならどこの町がいいとか・・・。私はほとんど聞き手に回っていたのだが、予想以上にこの近辺の土地に詳しい彼の話にはただただ感嘆するばかりだった。やがて私は疑問を問いかけた。
「ところであなたはこの土地にかなり詳しいですが、いったい何をなさっていたのですか?」
「実は五年前まで県会議員をやっていたんじゃ。こんな田舎町の県会議員って言ってもはんずがしいんじゃがの。」
「それで県の事情や隣県の事情に詳しいんですね。視察なんかで結構いろいろ回られたんでしょ?」
「そうじゃな。いろいろと県境での利権争いも起こるし、土地の者をなだめたりすかしたりするのも議員の勤めじゃからの。」
「開発計画とか土地買収とかで反対運動なんかが起こったりもするんでしょう?」
私はいつの間にか自分の会社の中での仕事に照らし合わせて、時折起こる問題に彼がどうやって対処してきたのか聞きたくなった。例えばどういう方法で人を納得させるのか?賛成派と反対派をどうやって和平させるのか?ところが彼は具体的なことは一切話さなかった。彼はただこれだけを答えた。
「問題が発生してどうにもならなくなった時に、人は何かと『どうしろ、こうしろ』というじゃろ?でも、一番の解決方法は『何もしない』ことじゃよ。」
「え?」
「そういうと語弊があるかもしれんが、問題というのは大抵人か、人が作ったものが起こすものじゃ。あんさんのように技術的な仕事をしていて技術的な問題が発生した場合は必ず答えが一つ出てくる。しかし、仕事の考え方の問題は答えは一つじゃなかろう。」
私は彼の話に引き込まれていった。私が最近悩んでいたのはまさに『仕事の進め方、考え方』のことだったから。
「答えが一つではないということは複数の考え方を持つ人がいるということなんじゃ。だからお互いの主張がぶつかり合ったりしているうちに何とか答えを一つに持ってゆこうとすると必ず決定的な決裂が生まれる。」
「確かにそうかもしれません。でも答えを急がなければならない場合もある。」
「実際は答えを出さねばならんよ。でも間に立つものやまとめ役が『何もしない』とどうなる?ぶつかり合った当事者同士が何とか歩み寄ろうとするじゃないかね?いつまでも並行線では時間だけが過ぎてゆく。そのままではお互いに不幸だと勝手に気づくんじゃないじゃろうか?」
私は彼の言葉に目の前がパッと開けたような感覚を覚えた。会社に対して思っていた妙な感覚は、「みんなの考えをきちんとぶつかり合わせていない」ことなのではないだろうか?経営者が「こうだ」と決めると間違っていても決まってしまう。そして納得の行かない社員が多数いる中で管理職はその仕事を遂行しなければならない。
「大抵の場合、紛糾した問題はトップが決断することで決まりますよね?そこで決断しないことのほうがいい場合もあると?」
「決断はどこかでしなきゃならんのだよ。でも決断を急ぎすぎるのはどうかね?新幹線はトラブルが発生すると必ず緊急停止するじゃろう。あんさんの会社で使っている機械は不良品を発見すると必ず自分自身を止めるじゃろう。車を運転していて子供が飛び出してきそうだったらブレーキを踏んで安全確認できなければ止まるじゃろ。要するに『一度止まって何もしないで観察する』時間が必要なんじゃよ。」
私は首を大きく上下させながら
「よく分かります。本当によく分かりました。ありがとうございました。」
と彼にお礼を言った。彼はニコニコと笑いながら、
「あんさんは会社を休んでこの温泉に来てくれた。土地のものとしての最大のおもてなしをしなきゃの。」
と彼は手にお湯をすくって頭にかけた。彼の見事な白髪は濡れてちょっとだけ黒くなったように見えた。
この休みが終わり会社の戻ったとき、私は少しだけ物事を判断する時間が遅くなるかもしれない。その決断までのタイムラグで青い空に浮かぶ湯煙と彼の一瞬の若返りを思い出すことだろう。

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