Bloody's Tea Room
Team SPIRITS Web Master 「Bloody]の趣味の世界へようこそ

2018/02/18 15:32更新 

当ホームページは[Bloody]の完全なる自己満足の世界で成り立っております。
読者の皆さんも喫茶店感覚でお楽しみください

 

〜Story12〜

Do You Know Me?

そのイタリアンレストランは富士五湖の一つ、山中湖の湖畔にひっそりと佇んでいる。山中湖の主な観光名所が立ち並ぶ御殿場側の裏手にあるテラスレストランは、湖畔道路を走っているドライバーにとって偶然立ち寄ることはまず不可能だ。トリコロールカラーの旗を見つけなければおそらく通り過ぎてしまうであろう。6台ほどの駐車場の奥 、高台になった場所にはテラスガーデンとウッドハウス調のレストランがある。こじんまりしているようで実は広い敷地を持ち、知る人ぞ知る隠れ家的人気を誇っている。

週末の予定が無かった私はふと思い立って都心から山中湖に向かった。高速を飛ばしてきたが到着した頃は既に夕刻に近くなっていた。夏の終わりを告げる蝉と 秋の到来を告げるコオロギの合唱が響く山中湖の夕暮れ時は、既に肌寒さを感じるほどのひんやりとした空気に満ちていた。
私が山中湖にやってくるのは数年ぶりだ。かつて夏の季節には必ず山中湖を訪れていたものだ。目的は二つ。避暑を兼ねて思いっきりドライブを楽しむことと、このレストランでディナーを楽しむこと。もちろん一人ではなく、助手席には必ず最愛の女性がいた。
そして今日・・・隣には誰もいない・・・

山中湖に到着した私は、湖畔の駐車場に車を止めて夕焼けに浮かび上がる富士山をしばし眺めた。かつて毎年見た光景は数年経った今年も変わることなく雄大に眼前に広がっていた。そして山中湖も水面のさざめきと共に逆さ富士を 母のように抱いていた。
「変わったのは俺だけか・・・」
私はちょっと自虐的につぶやくと、車に戻りキーを回した。

イタリアンレストランに私が到着したとき、ちょうどディナータイムの営業が始まったばかりだった。数年前はいなかったウエイトレスが店の看板を「OPEN」にかけかえていた。
「いらっしゃいませ。お一人様?ですか?」
ウエイトレスは怪訝な表情で私に尋ねた。それもそのはずだ。昔からこのレストランには一人客などはいなかった。大抵はカップルか家族連れ。そして私もその二人連れ客の一組だった。
「はい。一人です。」
私はウエイトレスに案内されるまま、かつてよく食事をしたテーブルへと向かった。
「いらっしゃいませ。」
懐かしい声に振り向くとこのレストランのオーナーであるマスターが微笑んでいた。私は懐かしさに思わず
「お久しぶりです。」
と反応した。マスターはちょっと首を傾げて怪訝な表情を見せたが、やがて笑顔に戻るとこう言った。
「ようこそいらっしゃいました。以前もお越しになられていたのですね?ありがとうございます。」
マスターの言葉に、私はちょっとがっかりしながら答えた。
「ええ、数年前には毎年この季節に来ていました。一年に一度の行事のようなものでした。」
「それは失礼しました。毎年来ていただいていたお客様を忘れるなんて本当に失礼ですね。申し訳ありません。」
「いえいえ。ところで今日のディナーのお勧めは何ですか?以前はマスターの進められるままに食事を注文していたので、今回もお勧めをお願いしようと思うのですが。」
「本日はいいヒラメが入ったので魚料理がメインです。ヒラメのムニエルなどいかがですか?」
「結構です。ではお任せしますのでコースでお願いします。」
「かしこまりました。」
マスターは一礼すると厨房へ立ち去っていった。私はちょっと残念に思いながらマスターの後姿を目で追っていた。
「なぜ忘れられてしまったのだろう?当時は私たちといろいろな話をしていたのに。マスターの車の趣味も、この地域の観光名所もマスターが教えてくれたのになあ。」
私の頭の中は、自分がまるで別の世界に迷い込んでしまったかのように混乱していた。山中湖全体はかつてと全く同じで、自分だけがタイムスリップしてしまったかのような妙な感覚に包まれていた。
「お待たせしました。前菜とスープをお持ちしました。」
マスターはそう言って私の前に皿を並べた。この近辺で取れた山菜のサラダはこの店の自慢だ。
「あの。」
マスターは皿を並べた後もその場に留まって私にこう言った。
「もしかしてハキハキした口調でお話になる快活な女性とご一緒に来られていませんでしたか?」
「はい。ハキハキというよりもうるさいくらいよく話す女性と一緒に来ていました。快活というよりも男性的というか・・。」
私はそう答えて笑った。「やっと思い出してくれたか。」と内心ホッとしながら。
「やはりそうですか。いやあ、懐かしいです。実は気になったのでシェフに聞いてみたんです。シェフも当時と同じ者がやっておりますのでね。そうしたらシェフがあなたのことを覚えておりまして、ご一緒だった女性のことも私に話してくれました。」
「良かった。私だけが異次元に来てしまったかのような妙な感覚になりましたよ。」
「大変失礼しました。それではごゆっくり食事を楽しまれてください。」
マスターはそういい残すと厨房へと消えていった。
安心した私はしばらく食事に没頭した。前菜、スープ、自家製パン、メインのヒラメ、付け合せの温野菜、どれもがしっかりとした舌触りと味付けで、空腹の私を満たしていった。

食事を終えた私の元にマスターがアフターコーヒーを運んできた。もちろんエスプレッソ。そしてトレイの上には2客。
「本日はお客様の出足が悪いようで、まだお客様お一人しか来られていません。よろしければ私も食後のコーヒーをご一緒させてください。」
そう言ってマスターは向かいの席へと腰を下ろした。
「どうぞどうぞ。私も話相手が欲しかったところです。」
「いやあ、先ほどは大変失礼いたしました。確か5年ほど続けてお越しになっていたはずですよね。そんな常連さんを忘れてしまうなんて、商売人として恥ずかしい限りです。」
「いえいえ。私の影が薄かったのでしょう。彼女はご存知のとおり太陽のような人ですから、二人で居たら間違いなく彼女のほうが印象に残るはずです。」
私はその時唐突に当時のことを思い出した。よく考えてみればマスターと話をしていたのは彼女であって私ではない。私はいつも食事をオーダーすることと会計をすることくらいしかマスターと話していなかったはずだ。会話をしていなければ覚えてもらえるはずは無いではないか・・・。
「よく考えてみれば、私はマスターと話をした記憶がほとんど無いのです。ほとんど彼女が会話をして、マスターからいろいろ聞きだしていた気がします。それじゃあ覚えてもらえていないのは当然ですよね。」
「失礼ですが彼女は?」
「別れました。彼女と居るといつも自分が陰に隠れてしまう気がして、なんとなく居心地が悪くなって・・・」
「そうですか。残念です。とてもお似合いのカップルに見えたのに。」
「でも別れてよかったのかもしれません。もしずっと一緒に居たら、このお店に来てもマスターとこんなに話をすることが出来なかったかもしれない。そして私はいつまでも自分の主張をすることが出来なかったかもしれない。このお店の中だけでなく、彼女と共に行動する時は常に私が陰になっていなければならなかった。」
「人と人というのは難しいものです。私もこのお店を始めて十年になります。シェフと二人三脚でやってきましたが、例えば私かシェフのどちらかが突出した人間だったとしたらうまくゆかなかったでしょう。バランスが大事だと思います。お客様と彼女は見ていて大変微笑ましいと思ったのですが、どこかバランスが崩れてしまっていたのだと思います。お客様とバランスが保てるお相手は必ず見つかると思いますよ。」
「はい。私も彼女と別れてからちょっと足踏みしていたように思います。でも、今日山中湖に来てみて、マスターと話が出来て答えを見つけたような気がします。これからは自分を覚えてもらえるような生き方をしようと思います。そして一緒に居ても二人セットではなく各個人として覚えてもらえるようなバランスのある彼女を見つけます。その時は必ずこのお店に連れてきますね。」
エスプレッソを飲み干した私は
「ごちそうさま」
と一言残して席を立った。マスターはテラスガーデンの入口まで見送ってくれた。
「またお越しください。今後はお客様を忘れることは絶対にありませんから。お一人でも、お二人でも」
ちょっと苦めのエスプレッソの香りが私には心地よかった。

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