Bloody's Tea Room
Team SPIRITS Web Master 「Bloody]の趣味の世界へようこそ

2018/02/18 15:32更新 

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〜Story13〜

Station

低く雲が垂れ込んでいながら雨は降らない。泣き出しそうで泣かない。日本海側の気候は大抵そんな感じだ。演歌で日本海側を唄った歌詞が多いのも、このような情景が侘しさや物悲しさを語るからかもしれない。なぜか日本海側へ行くときはいつも鉄道を選びたくなる。車窓から望む風景が徐々に変化してゆく様をゆっくりと見られるのは鉄道だけだ。
私は久しぶりに余目駅に降り立った。新潟から特急で二時間。私はこの地が山形県に属するということをかつて知らなかった。少し北上すれば鶴岡があり、さらに北上すると秋田がある。かつて私がなぜこの地で降り立ったのか今でも分からない。
「ただ降りてみたかったから。」

一年前、私は日常から逃れたくて一人旅に出た。行き先はどこでも良かった。財布と少しの着替えをデイバックに放り込んで列車に飛び乗った。最初に頭に浮かんだのが「日本海」という言葉だった。東京から新幹線で二時間半で新潟駅に着くが、私はあえて夜行列車で北へ向かった。
余目駅に到着したのは夜の帳が降りた後だった。駅に降り立った私は少し後悔していた。駅前には何もない。タクシーさえも見当たらない。もう少し乗っていれば鶴岡の町に到着したはずだ。そして鶴岡ならビジネスホテルもあるだろう。食事をする場所も見つかるはずだ。下りの列車はもうない。
私は気を取り直して駅から当てもなく歩き出した。駅の周囲にはほとんどなにもない。せめて食事が出来る場所でもないものかと、私は歩き続けた。地方の都市の夜は早い。大抵の家が農家を営んでいることもあり、朝が早い分夜も早いのだ。町全体が既に就寝してしまったかのような錯覚を覚えながら、 ぶらぶらと歩き続けた。

20分ほど歩いただろうか?ふと赤提灯を見つけた私は灯りに誘われるように扉を開けた。昔ながらの引き戸が「ガラガラ」と音を立てて私を出迎えた。
「いらっしゃい。」
店内には10名ほどで一杯になりそうなカウンターがあるだけの小さな店だった。そのカウンターの向こう側で40くらいと思われる女将が私を少し戸惑ったような顔で私を見つめていた。
「あの、まだ大丈夫ですか?」
他に客はいなかった。店じまいには早すぎる時間だったが、客のいない日は早く閉める事もあるだろう。事実、女将は静かな店内でガスの火を止めてところだった。
「けっこうですよ。お客さんが居ないから今日はもう閉めちゃおうかと思ったけど、お客さんが来たなら大歓迎です。」
女将はそういって初めて笑顔を見せた。
「なんか悪いなあ。他に開いている店がなかったものだから。」
「あら、お客さん余目は初めて?」
「ええ。ふらりと立ち寄ったのでさっぱり町の事情が分からなくって。」
「そりゃ難儀したでしょ。はい、お通しをどうぞ。」
女将はそういってタコの酢の物を出してくれた。
「あ、ありがとう。ではこの地のお勧めの日本酒があればお願いします。」
「お勧めですか?この辺は米どころでもあるからいろいろな地酒があって何でもお勧めです。一番有名なのは『やまと桜』かな。」
「ではそれを冷酒でお願いします。それと焼き魚を。種類はお任せします。」
「今日は秋刀魚しかないけど、それでいいですか?」
「結構です。」
女将は私と話をしながらも手を休めることなくテキパキと動いた。私はたった一人の一見客という微妙に居心地の悪い状況の中、ちょっと辛口でキレのある『やまと桜』を飲み続け、そして女将の働く姿を目で追っていた。目尻の皺がちょっとくたびれた雰囲気を漂わせていたが、ハッとするようなうなじの白さや折れそうな顎の線が綺麗だった。しかしなんとなく垢抜けた感じがするのは気のせいか?「東北の町で和服の女将か。」私は演歌に出てきそうなこの状況にフッと笑みを漏らした。
「なにがおかしいの?」
「いえ、女将さんが綺麗だなと思って。東北の街の小さな赤提灯で美人の女将さんと来たら、演歌の歌詞になりそうじゃないですか。」
「褒めたってだめですよ。もうとっくに女ざかりは過ぎたし。私はただこの町で朽ち果てるだけ。」
「でも、それも一つの人生かな・・・なんてね。」
「それって演歌のエンディングのつもり?お客さん、もしかして詩人とか?」
「いえいえ。しがないサラリーマンですよ。」
「出張ですか?」
「それもNo!今日はぶらりと一人旅です。なんだか日本海が見たくなっちゃってね。」
「でも、日本海は暗いでしょ。毎日どんより曇っているし。」
「そういう気分だったんですよ。泣きそうで泣かないっていう空が見たくなったんですよ。」
「やっぱり詩人だわ。そんなことさらりと言うってのはね。ところで今日はどこに泊まっているんですか?」
「実はまだ決まっていないのです。女将さん、宿泊できるところ知りませんか?」
「この辺だと駅前の旅館と街中のビジネスホテルしかないですね。今からだと多分無理。」
「そうですか。ならば駅の待合室で寝てもいいかな〜。この季節に凍死はしないでしょう。」
「ええっ。お客さん、そんな旅しているんですか?」
「まあ、最近はしなくなりましたけど、昔は良く駅で始発を待って寝たりしましたよ。このお店が終わってから駅に行けばほろ酔いでいい気分で眠れるはずです。」
「でも、それじゃあ・・・。」
女将の言葉を遮って、私は酒を勧めた。
「女将さん、一杯いかがです?なるべく私と長くお付き合いしていただければ駅で寝る時間が少なくて済みます。」
私は笑って酒瓶を差し出した。実はこの女将と飲み交わしてみたくなったと言うのが本音だ。女将はちょっと小声で
「いただきます。」
と小さな冷酒用のコップを出してきた。それから私は自分の住まいや仕事、そして今までの巡ってきた旅について語った。女将は言葉少なながら私の話を真剣に聞いてくれた。 やがて私は女将の言葉遣いが標準語であることに気づいた。余目の人ならばいくら標準語を話そうとしても、間違いなく東北弁の訛が出るはずだ。「都会に住んでいたのかもしれない。」女将の垢抜けたイメージと標準語が余目に居ることを忘れさせ、私は饒舌に話した。
時は流れ、女将が私の隣に腰をかけた頃から私の記憶は怪しくなっていった。かすかに香る香水だけが、私をかろうじて目覚めさせていたようだ。

私を眠りから覚めさせたのは味噌汁の香りだった。気がつくと私は店の奥の座敷に横たわっていた。カウンターのほうからはトントンとまな板を叩く包丁の音が聞こえていた。しばらくその状況を理解できなかった私は首を振って頬をパンパンと叩いた。包丁の音が止み、女将が暖簾の向こう側から顔を出した。手にはおしぼりを持っていた。
「おはよう。よく眠れた?」
「これは申し訳ないことをしました。酔いつぶれてしまったんですね。」
「『やまと桜』は翌日に残らないお酒だからすっきりしているでしょう?」
確かに二日酔いはまるでない。
「今、朝ごはんを作っているから食べて行って。」
女将はそういうと暖簾の向こうに姿を消した。私は女将から受け取ったおしぼりで顔を拭き、ようやくスッキリしてきた。暖簾を掻き分けて店のカウンターへ腰をかけた私は
「本当にすみません。外に放り出してもらってよかったのに。」
「そういうわけに行かないでしょ。田舎の人の親切は素直に受けなさい。」
女将はそういいながらお盆の上にご飯と味噌汁と卵焼きの乗った朝食を出してくれた。
「こんなものしかないけどね。」
女将は自分のお盆を持つと私の隣に腰掛けた。目覚めたときは気づかなかったが、和服を脱いで軽装になり、髪を下ろした女将は5歳ほど若返ったように見えた。昨晩と同じ香水の香りにちょっと私はドキドキし、味噌汁の味が妙にしょっぱく感じた。

なんとなくお互いに言葉少なに朝食を終え、私は素早く身支度を整えた。ゆっくりしていたらそれこそ居座ってしまいそうだったから・・・。デイバッグを担いだ私は女将に
「どうもありがとう。朝食までご馳走になってしまって申し訳ない。そういえば昨日の勘定は?」
と声をかけた。女将はうつむきながら
「じゃあ3000円。」
と小さな声で答えた。 私は財布から5000円札を取り出し
「お釣りはいらないよ。一宿一飯の恩義。」
と笑って差し出した。女将は黙って受け取り、じっと札を見ていたが、やがて
「駅まで送らせて。」
と私の手を取った。私は女将に導かれるままに店の外へ出て歩き出した。
「私ね。」
ポツリと女将が話し始めた。
「昔、銀座にいたの。店のお客さんで私を好きになってくれた人がいて、いつかは結婚しようという話にまでなったのね。でも、相手の人は私に会うために借金して銀座に通っていたの。その借金が膨らんでしまってそのまま私の前からいなくなった。私に一言でも話してくれれば何とかなった話なのに、何も話してくれなかった。」
私は何も言うことができず、ただ女将の手を握る手に力をこめた。
「似てるのよ。」
ぽつりと女将がつぶやいた。
「え?」
私は思わず立ち止まり、女将の横顔を見た。女将は私のほうへ顔を向け、
「彼に似てるの。貴方が。昨日の夜、貴方が店に入ってきたときにはビックリした。でも話してみると貴方は彼より全然明るいの。饒舌だし、一緒にいて安心した。彼は寡黙でなかなか自分のことを話さない人だった から、いつもちょっと不安だった。でも雰囲気がすごく似ているの。」
「親切にしてくれたのはそういうわけだったのか。」
「ごめんなさいね。その後私は銀座の店を辞めたわ。彼がまた来る可能性はなかったし、いつまでも彼の思い出を引きずるのはよくないと思ったから。それで誰も知らない余目の町に来たの。でも、私が余目に居ることはそれとなく情報を流してた。銀座時代の友達とかお客さんとかね。どこかで聞きつけた彼が、もしかしたら迎えに来るんじゃないかと思って。なんとなく特急が止まる時間に駅に行ってみたりした。」
「自分から都会の殻を破って出てきたのに、結局逃れられず・・・か。」
私はポツリとつぶやいた。そしてわざと明るく大声で付け足した。
「そんなに愛されたら男としては本望だな。少し妬けちゃうよ。俺が相手の男だったら絶対に迎えに行くのにな〜!」
気がつくと私たちは駅にたどり着いていた。女将はホームまで手を離さずについてきた。やがて北へ向かう特急列車がホームに滑り込み、私は女将の手を放した。締まりかけたドアの向こうで女将がつぶやいた。
「また来てね。」
「迎えにね。」
私の言葉に女将はビックリしたようだった。列車のドアが閉まりきり、女将の声は届かなかった。でも口の動きで読み取れた。
「待ってるから。」

私は今、再び余目駅にいる。改札口の向こうには和服姿が見える。白いうなじが綺麗だと思った。

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