Bloody's Tea Room
Team SPIRITS Web Master 「Bloody]の趣味の世界へようこそ

2018/02/18 15:32更新 

当ホームページは[Bloody]の完全なる自己満足の世界で成り立っております。
読者の皆さんも喫茶店感覚でお楽しみください

 

〜Story17〜

Forever

東北一人旅から戻る途中、渓流沿いのローカル線と並行して走る国道を疾走していた僕は、ふと藁葺き屋根を目にしてステアリングを左に切った。秋から冬へと向かう会津は葉がすっかりと落ち、車窓からの風景を妨げるものがほとんどない。藁葺き屋根を見つけることが出来るのもこの季節以外では難しいかもしれない。僕は建物の向こう側に見え隠れする藁葺き屋根を目印にクルマをゆっくりと進めた。
「このままだと駅に向かってしまうんだけどな?」
僕はちょっと疑問を抱きながらひなびた温泉街の細い路地を慎重に運転して行った。路地が途切れ、目の前に現れた藁葺き屋根の主はなんと駅舎だった。旅行好きの僕も知らなかった藁葺き屋根の駅舎。元国鉄の、そして今は第3セクターの私鉄の駅。この駅に出会えたことが僕には嬉しかった。
駅の横にある砂利の駐車場にクルマを乗り入れ、僕は駅舎へとゆっくり歩いていった。駅前には丸く赤い郵便ポスト、温泉街を示す源泉のやぐら、タイムスリップしたような空間を楽しみながら・・・。歩きながら香ってくる木の香りは懐かしく、そして物悲しかった。
駅舎の中に入ってみると、昔ながらの手書き時刻表と小さな売店、券売窓口が僕を待っていた。もちろん自動券売機などというものはない。中に入ってさらに驚いたのは、この駅舎が全て木造建築であることだった。大抵この手の建造物は、外側のみ昔風にアレンジされていて、中に入ってみるとコンクリートやモルタルなどで造られているという場合が多い。そして何よりも僕の心を和らげたのが囲炉裏だった。鉄道という近代文明の証のようなものと囲炉裏のミスマッチ。外気温は秋だというのに既に5℃を下回っている。パチパチと燃える炎と炭の焼ける香り、そしてそのぬくもりがしばし時間を忘れさせた。

何か記念になるものを手に入れようと僕が駅舎の中を眺め回していると、一人の老婆がゆっくりと入ってきて囲炉裏の奥に腰を下ろした。老婆の手には一本の薪。老婆は火の衰えつつあった囲炉裏に無造作に薪を載せた。一度小さくなりかけた火は、空気と共にその勢いを盛り返し、老婆の顔を赤く染めた。僕は薪の並べ方を興味深く見ていた。バーベキューなどをやるときの炭と違い、薪の場合は火の起こし方と育て方が重要だと聞いたことがある。しかし、今の老婆の薪のくべ方はどう見ても無造作としかいえなかった。元々存在した薪の横にちょっと並べただけ。空気の通り道とか考えなくてもいいのだろうか?
「おばあちゃん。薪のくべ方にコツがあるんですか?」
僕は思い切って老婆に声をかけた。
「○・・・・○・・・・○だべ」
老婆は何かしらブツブツと言葉を発したのだが、僕には何を言っているのか理解不能だった。東北弁であることに加えて老婆の話し方がつぶやく程度の小声であったから・・・。しかし、老婆の手振りでなんとなく言いたいことはわかった。まず両手を並行にして、次に90度曲げた右手を左手に載せるような仕草をしたからだ。
「’井’の字のように置くんですね?」
僕が理解したことを言葉にすると、老婆は嬉しそうに目を細めた。
「でも僕が昔焚き火をしたときに、単純に’井’に組んだだけではなかなか火がつかなかった経験があるんですよ。でもおばあちゃんは無造作に薪を入れましたよね?そしてあっという間に火が大きくなったのにビックリしたんです。僕のやり方と何が違うんだろう?」
「○○・・・・○○かわりばんこ・・・」
今度は『かわりばんこ』という言葉だけは聞き取れた。そして老婆は右手と左手を手刀を切るように交互に上下に動かした。
「ああ、'井'の右と左は時間差で火を点けるんですね?一緒に火をつけようとすると点きにくいんだ!でも、そうすると何が変わるんですか?」
「風が・・・○・・・あんついほんから・・・・○・・・ひゃっこい・・・・」
「なるほど!空気は熱いほうから冷たいほうに流れてゆくから新しい薪に向かって風が起きるんですね!」
僕はパンと手を叩いて笑った。薪のくべ方が理解できたのも嬉しかったが、それよりも老婆の言葉がだんだん理解できてきた喜びのほうが大きかった。僕の反応を見ていた老婆の目はさらに細くなり、口元と頬の皺がより深くなった。
「ありがとう!おばあちゃん!」
僕が立ち去ろうとすると老婆はちょっと慌てたように手招きした。僕はちょっと首をかしげながら老婆のほうに向きなおると、老婆はどうやら僕に囲炉裏の脇を指差した。『どうやら座れといっているらしい』と思った僕は、靴を履いたまま囲炉裏端に腰をかけた。老婆はもんぺのようなズボンをしきりに探っていた。
「おばあちゃん、どうしたの?」
僕が聞くと、老婆はやがて懐から一つの巾着袋を取り出した。巾着袋の中にはお茶っ葉が入っていたようだ。囲炉裏端の急須にお茶っ葉を少量入れ、囲炉裏にかかっていたやかんを持ち上げると急須の中にゆっくりと注ぎ込んだ。急須を持ち上げて2,3回空中で円を描き、そして小さな湯飲みに丁寧に注ぎ込んだ。一連の作業はとてもゆっくりしていて、優雅ささえ感じられた。
お茶を注ぎ終えた老婆は、僕のほうに湯飲みを差出して囲炉裏端に置いた。
「いただけるのですか?ありがとうございます」
僕が礼を言い、靴を脱いで囲炉裏端に正座した。靴を履いたまま斜めに座ってお茶を頂くのは老婆に失礼だと思った。すると老婆は嬉しそうに微笑んで
「とつのもん・・・○○うんまい・・・○○」
とつぶやいた。
老婆の入れてくれたお茶は不思議な香りがした。緑茶でもなく、ほうじ茶でもなく、もちろんウーロン茶でもない。玄米茶とほうじ茶の中間のような不思議な味。
「おばあちゃん、このお茶は何というお茶ですか?初めて飲みましたけど」
「○○・・・・」
老婆は僕のほうを指差しながら何かつぶやいたが、今度は理解できなかった。
「え?」
「うすろの・・・」
僕は後ろを振り向いた。売店の陳列棚に蕎麦茶の袋が並んでいた。
「蕎麦茶ですか?会津の蕎麦で作った蕎麦茶ですね?」
老婆は嬉しそうに何度も頷いた。
「ありがとうございます。お土産に買って帰ることにします」
老婆に礼を言って売店に向かおうとした僕は、ふと思い出してポケットを探った。『あった!』僕が取り出したのは鈴のついた携帯ストラップだった。今回の旅の土産に彼女に買ってきたものだ。僕はストラップを老婆に差し出しながらこう言った。
「お茶をご馳走様でした。そのお礼と言ってはなんですが、このストラップを差し上げます。お茶の巾着袋につけておけば、巾着袋がどこに入っているか鈴の音でわかりますから」
老婆はちょっと驚いた表情をして顔の前で手を振った。
「いえいえ、次に来たときにもおばあちゃんのお茶をご馳走になりたいんです。その時の目印に!」
半ば強引に老婆の手にストラップを握らせると、僕は売店に向かった。

あれから5年の歳月が流れた。結局僕は5年の間、会津に向かうことはなかった。都心の銀杏が黄色く染まる季節になると、僕はいつもあの老婆を思い出す。そして今年は北へ向かう国道でクルマを走らせていた。都心から離れるにしたがって紅葉が徐々に薄れてゆき、会津に到着する頃にはすっかり葉を落として冬を迎えようとする木々が僕を迎えた。藁葺き屋根の駅舎は5年前と全く変わらずに僕を待っていた。赤いポストもやぐらも・・・・。駅舎の中では前と変わらぬように囲炉裏に薪がくべられ、やさしいぬくもりが存在していた。しかし・・・老婆の姿はなかった。
僕は前と同じように囲炉裏端に靴を履いたまま腰を下ろした。囲炉裏の薪のやぐらは’井’の最上段が右側しかなかった。最上段の1本だけの薪の炎をじっと見つめていた僕の耳に、駅舎の外から鈴の音が聞こえてきた。
『永遠にこの空間が残って欲しい』
と僕は思った。

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