Bloody's Tea Room Team SPIRITS Web Master 「Bloody]の趣味の世界へようこそ 2018/02/18 15:32更新
当ホームページは[Bloody]の完全なる自己満足の世界で成り立っております。 読者の皆さんも喫茶店感覚でお楽しみください。
〜Story11〜
Time Slip
梅雨空の続く6月。つかの間の太陽は人々を海へと誘う。 海岸沿いの国道は早い夏を求める人々が車の列を成し、海岸では来るべき盛夏のための準備が進む。 彼もまた、つかの間の太陽を求めて海岸通りへ車を進めた。 気温は30度を優に超え、エアコンなしでは汗がじっとりとにじむ。 陽射しはウインドウを通してさんさんと降り注ぎ、彼の腕や顔を小麦色に染めていった。 海岸通りはサーフィンを楽しむ若者の車、バイクが連なり、全ての駐車場は満車の立て札を掲示していた。 多くの車は数少ない駐車場を探し、車からボードを取り出し、自らはウエットスーツを着込んで波に向かって挑んでゆく。 その姿はまるで時間を惜しんでいるかのような焦りさえ感じられた。 渋滞の隊列は時速10km/hを超えることはなく、時には歩いてゆく人々にも先を越される。 時折、渋滞に閉口したドライバーがわき道へと去ってゆく。 家族連れのワンボックスは疲れた顔でお父さんがステアリングを握り、子供たちと妻は後部座席で筒の苦労を知らぬ顔で眠っている。 彼は車を止めるでもなく、ただただ渋滞の列の中にいた。いや、彼はその渋滞をむしろ楽しんでいた。 エアコンを切り、サイドウインドウを全開した彼の車には、海岸からの風が室内を駆け抜け、潮の香りを室内に残して去ってゆく。 心なしか気温も低くなったようにさえ感じるこの自然の恵みを彼は心から楽しんでいた。 カーオーディオからは80年代のヒットメドレーが流れ、昔、この海岸で過ごした時代を連想させた。 トンネルを抜けた瞬間に、彼の目の前には直線的な海岸線が開けた。 渋滞の列はここで停止し、彼に周囲を見渡す余裕を与えた。 ふと、路肩にイゼールを発見した彼は、その奥に座っている人物を確認した。 粗末な折りたたみ椅子に腰掛け、キャンバスに向かっている女性は、10年の時を経た今でもはっきりと思い出せる。 彼がこの海岸に良く訪れていた10年前、同じ場所でイゼールを立てかけ、声をかけた彼の言葉を無視して筆を動かし続けたのが、彼女であった。 「あのー」 彼は10年前と同じように声をかけてみた。10年前と代わっていたのはその後の反応だった。 「はい?」 「実は10年前にここであなたの姿を見て声をかけたものなんですが、覚えていないですよね?」 彼女は一瞬びっくりしたような表情をみせたが、その後にこやかにこういった。 「さすがに10年前のことは覚えていませんが、そのあと私がとった反応は予想できますよ」 「え?」 今度は彼が驚く番だった。笑いながら彼女は言った。 「実は10年前くらいの私は絵を描くことに必死でした。絶対にこの景色を私の表現で残して画家になるってね。だから私の仕事を邪魔するものには冷たかったはずなんです」 「なるほど」 「でも、今は絵を描くことは生活の一部でしかないことに気がついたんです。毎日はいろいろなことがあって、それらの出来事を楽しまなくちゃ。今日だって私が返事しなければ10年の時を超えたお話が出来なかったわけでしょ」 そう語る彼女の左手に陽射しがあたった。薬指が一瞬きらめき、彼は瞬時に納得した。 「よい家族を持ったということなのですね?」 彼女はニッコリ笑った。 カーステレオからは[STARSHIP」の[Nothing's gonna stop us now」が流れ、彼は完全に10年前にタイムスリップしていた。 クラクションが聞こえ、ふと前方に目を向けると車の隊列は彼方に進んでいた。 「10年を取り戻すことが出来てよかったです」 彼はそういってクラッチをつないだ。 バックミラーには左手を振る彼女の顔に初夏の陽射しが注いでいた。 ウインドウから手を振って答えた彼は、微笑んでアクセルを開けた。
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