Bloody's Tea Room
Team SPIRITS Web Master 「Bloody]の趣味の世界へようこそ

2018/02/18 15:32更新 

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〜Story21〜

Virtual Travel

どこかへ旅に出たいと思っても、毎日の仕事に追われるようになるとなかなか時間が取れない。子供の頃、学生の頃は時間は売るほどあった。しかしお金がなかった。そして社会人になりお金に余裕が生まれても、時間に余裕がなくなる。世の中とはままならないものだ。
僕は子供の頃から旅が好きだった。特に列車に揺られて遠くへ出かけると言う冒険のような旅が好きだ。新幹線でもなく、特急列車でもなく、コトコトゆっくりと進む各駅停車の旅が・・・。
しかし社会人になった今、長期間の休暇などは望むべくもなく、時折機会のある出張は新幹線で日帰り。味気ないものだ。

会社の帰りにふと本屋に立ち寄った。ちょうど初夏の観光シーズンに入ったこともあって、夏の旅の特集コーナーが設置され、様々な観光地のガイドブックが並んでいた。そのコーナーの端に時刻表が並んでいるのを見つけた僕は、懐かしさに駆られてふと時刻表を手にした。小型時刻表でも500円。高くなったものだ。僕はそのままレジに向かい、時刻表を手に入れた。なんとなく時刻表を見ていれば旅行に出かけた気分に浸れると思ったから・・・。

僕はそのまま行きつけのバーへ向かった。家で時刻表を見ていても生活感の中で旅の気分には浸れない。絶対に非日常を感じることが出来る場所で読むべきだった。
「いらっしゃいませ」
馴染みのバーテンが僕に声をかける。そしていつものスツールに腰を下ろした。
「今日はビールにしようかな。ハーフ&ハーフを頼む」
僕はまずビールを一口喉に注ぎ込むと、時刻表を取り出した。さて、どこに向かうか?初夏の東北もいいし夏を迎えつつある九州もいい。東京から夜行快速で東海道を下り、その日のうちに行けるところまで行ってもいい。私は数字の羅列された紙面に目を落とし、しばらく没頭した。

「どこかへ旅行されるのですか?」
突然左側から声をかけられ、僕のバーチャル旅行はひとたび中断した。左隣にはこのバーでよく見かける一人の女性が腰を下ろしていた。時刻表に没頭していた私は、彼女が入ってきたことも、隣に腰を下ろしたことも全く気がついていなかった。
「いえ、行きたいのですが時間がないんですよ。だから行った気分になって時刻表を見ながらバーチャル旅行を楽しんでます」
「あら、それは邪魔をしてしまったかしら」
「いえいえ、いいんですよ。バーチャルなんですからいつでも楽しめるしね。そういえばお話しするのは初めてですね」
「そうですね。何度もお見かけしているのですが、なかなかお話しする機会がなかったですね。お仕事はお忙しいんですか?」
「え?なぜそんなことを聞くんです?」
「だって旅行の時間が取れないとおっしゃっていたから」
「ああ、そのことですか。社会人になると旅行しようとしてもせいぜい1週間程度の長期休暇くらいしか取れないでしょ?学生の頃などは1ヶ月とか売るほど暇があったのに、今はそんな時間はないと言う意味ですよ」
「ということはそんなに長期間旅行したいと思っていらっしゃるの?」
「そうですね。出来れば列車で日本一周とか。しかも各駅停車で」
「ええっ!それは会社を辞める以外に時間を取るのは不可能ね」
「そう、だから時刻表でバーチャルに楽しもうと言うわけです」
「どうして各駅停車で?」
「子供の頃はお金がなかったから、青春18きっぷという5日間有効の各駅停車専用きっぷで旅行していたんです。5日間で11500円。安いでしょ」
「そんなきっぷがあるのね。あたし、全然知らなかったわ。でも各駅停車だと遠くには行けないでしょ」
「ところがそうでもないんですよ。それが時刻表を見ているとよく分かる」
「例えばどういう行程を考えているの?」
「東京から朝一番の各駅停車で西へ向かうと、その日のうちに九州に入れるんです。最初は博多でラーメンを食べて、翌日は長崎に向かって幕末の遺跡を見る。翌日は阿蘇山をぐるりと回って別府の温泉に行き、、、とまあこんな感じです。これだけ回っても3日分しか使わない。でも旅先で面白いものを見つけたら計画を変更して寄り道ってのが楽しいですね」
「時刻表を見るだけでそれだけの想像ができるの?」
「できますよ。しかも途中で快速とかを使って前を走る各駅停車に追いつくことでさらに遠くにいけたりするのを発見するのは楽しいです。例えばほら、米原で乗り換えるときに接続の各駅停車をやり過ごして次の新快速に乗れば姫路には30分以上早く到着できるんです。こういうのを見つけるのは楽しいですよ」
僕は彼女に時刻表を開いて見せながら説明した。彼女はまるで別世界のものを見るように物珍しそうに時刻表を見つめていた。
「あたしはどちらかというと旅行は友達が立ててくれた計画に乗っかって、ただ後ろをついて歩くだけというのが多かったから、時刻表なんか見ることはなかったわ」
「そうでしょうね。最近はインターネットで時刻検索も出来るし、時刻表を本で買って旅行する人などは減ったでしょう」
「確かに。でもこういう楽しみ方もあるのね。貴方もせっかくだからこの時刻表を使って実現すればいいのに」
「しかし、、、」
「時間がない!」
僕たちは同時に叫ぶとひとしきり笑った。笑い終えると彼女はちょっと真面目にこう言った。
「でも、たとえ2日間だけでもそういう旅を経験したら気分に浸れると思うけど。日本一周ではなく、ただ行って帰ってくるだけでも楽しいんじゃないかしら。実際に子供の頃はお金がないから長期の旅は無理だったわけでしょ。だから長期の旅にこだわらずに、童心に帰って実際に旅行してみたほうが楽しいんじゃないかな」
僕は彼女の言葉を反芻してちょっと考えた。確かに時間がないことを理由に行動を自分から制限してしまっているのではないか?と。
「あたし、こういう旅を経験してみたいなあ」
ボソッ囁くように彼女の声が僕の耳に届き、僕はゆっくりと左隣へ顔を向けた。そこにはこちらを向いている笑顔があった。
「今度の週末、行ってみましょうか?幸い青春18きっぷは2日間×2人で使ってもいいし」
「残りの1日分はどうするの?」
「それは・・・、翌週に日帰りで使おうかな」
「それじゃダメ。有給休暇使って2泊3日で行くの。足りない1日分ではなく、青春18きっぷを2組買って翌週は1泊2日にすればいいのよ。それくらいの時間一緒にいないと貴方とあたしの距離が縮まらないわ」
僕は彼女をじっと見つめた。彼女は口元に笑みをたたえ、ゆっくりとまばたきをして僕の心の問いに答えた。
「僕たちの旅立ちのきっかけは時刻表だね」
僕と彼女はゆっくりとグラスを触れ合わせた。

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