Bloody's Tea Room
Team SPIRITS Web Master 「Bloody]の趣味の世界へようこそ

2018/02/18 15:32更新 

当ホームページは[Bloody]の完全なる自己満足の世界で成り立っております。
読者の皆さんも喫茶店感覚でお楽しみください

 

〜Story25〜

My Measure

あたしは疲れた足取りでバーのドアを開けた。カランカランとドアベルが鳴り響き、店内からジャズの軽快なサウンドがこぼれ出てきた。このところこの店を訪れるときはいつも疲れている。本来ならば心地よく染みてくるはずの音楽も、なんとなく耳をふさぎたくなってしまう。それならば寄り道をせずに部屋へまっすぐ戻るべきなのに、あたしはなぜかこの店に立ち寄ってしまう。たぶん、一人になりたくないのだろうと思う。疲れと言っても体の疲れじゃない。体の疲れならば部屋に戻ってバタンとベッドにもぐりこめば心地よい眠りがやってくるはずなのに。

あたしはスツールに腰かけるとほどなくしてマスターがおしぼりとメニューをもってやってきた。
「いらっしゃいませ。なんだか元気がありませんね」
「そうなんです。最近いやなことばかりなんです。きついお酒を飲んで一気に酔っぱらってしまいたい」
「そういう時にはきついお酒は体を壊しますよ。なんなら私にメニューを決めさせていただけませんか?」
「ならマスターにお任せしようかな。とにかく飲んで忘れてしまいたいの」
「何を忘れたいんですか?」
「人間関係・・・かな?あたしもよくわからない」
「わかりました。クールダウンできるお酒を用意します」
マスターはメニューを下げると棚のボトルからハバナクラブの3年物を取り出した。あたしはマスターの手元を見るでもなく、視線をカウンターの木目に走らせて仕事での自分を思い出し始めた。

あたしが今の会社に入ってから既に8年が経つ。入社直後は25歳までに結婚したいなどと一般的なOLと同じ夢を描いていた。でも3年ほど経過した時、OLからセールスへと異動することになった。その時からあたしの仕事に対する姿勢は劇的に変化した。外回りで営業の第一線にいるという仕事は、オフィスでコツコツと資料整理や会計計算をしている仕事よりもあたしに合っていたようだった。お客様といろいろな話題を駆使して親密になり、そして会社の売り上げに貢献する新たな仕事を獲得する。成績という名のやりがいある結果と、人脈という名の計算できない経験を得ることがあたしの生きがいになった。そしていつの間にか30歳に近くなってしまった。
あたしは別に歳を取ったことをネガティブには考えてない。周囲の同期生たちが次々と結婚して退社してゆく姿を見てもうらやましいとは思わない。仕事が生きがいだっていいと思ったし、このまま一生独身でもいいと思った。上司からある言葉を言われるまでは・・・

「お待たせしました」
いつの間にかマスターが出来上がったカクテルを持ってあたしの前に立っていた。コースターを差出し、静かにカクテルをあたしの前に置いた。
「これは?」
白い液体がトロリとカクテルグラスに注がれている。
「フローズン・ダイキリです」
「へえ、ダイキリもフローズンで作ることがあるんだぁ」
あたしはあまりフローズンカクテルは飲まない。なんとなく子供のころに食べたシャーベットアイスクリームを思い出してしまって、甘いイメージがあるから。
「なんでフローズンにしたの?」
「何かを忘れたいとおっしゃっていたので、ヘミングウェイを思い出させるダイキリをお出ししようと思いました。そして心がちょっと病んでいらっしゃるようなので、フローズンにして心をクールダウンしては?というメッセージを添えたつもりです」
「ありがとう。マスターはいつもあたしの心を読んでくれるのね」
フローズン・ダイキリは確かにあたしの心というか気持ちをクールダウンさせてくれるのに十分だった。ちょっとシャリシャリの食感があってきちんとラムの香りが漂うカクテルは、子供のころの素直なあたしと、今のバリバリ仕事しているあたしを融合したような味をしていた。
「お味はいかがですか?」
マスターがじっとあたしを見つめていた。
「このところのあなたは見ている私もちょっとハッとするような脆さがあるように思いますけど」
「マスター、あたしの話を聞いてもらえる?」
「もちろん。私にも耳ぐらいありますから」
あたしはマスターの真面目くさった冗談にちょっと微笑んでしまった。
「実はね、仕事のことなの。先日上司に『君は結婚相手とかいないのか?』って言われたの。もちろん今はそんな相手いないし、あたしは仕事が大好きだから、笑って『いませんよ。今は仕事が恋人です』と答えたの。そうしたら上司が『でも女の幸せは結婚っていうだろ?君もいつまでも第一線のセールスっていうわけにもいかんだろう』と言うのよ。それを聞いたあたしはね、上司があたしをどう見ているか?無性に気になっちゃった。もしかしてあたしの能力に限界を感じているんじゃないかとか、異動させようという話があるんじゃないかとか・・・。そしてあたしの今まで打ち込んできたものはなんなんだろうって思っちゃった。考えすぎなのかな?」
フローズン・ダイキリでクールダウンされた心と、マスターの暖かな気配りがあたしをちょっと饒舌にさせようだ。
「つまり上司の評価を気になさっているのですか?」
「今までは評価なんか全然気にしていなかったんだけどね。このままでいいの?って自分に問いかけるようになっちゃったの」
「自分に問いかけた結果、結論が出ないから悩んでしまったというように見えますが」
「そう、その通り!あたしって結局中途半端な状態になっているんじゃないかなあ。そこから抜け出す気持ちの転換ができないのよ」
「考えすぎと言ってしまえばそれでおしまいですが、視点を変えてみてはどうでしょう?」
マスターは意外なアドバイスをくれた。
「視点?あたしの視点ではなく考えるということ?」
「いえいえ、違うんです。今のあなたはもしかして上司の人の視点でご自身を評価されているのではないですか?でもあなたは上司の人ではないから結果は出ないように思うんですよ。結局は自分の視点が大切なのではないか?と」
「上司の視点ではなくあたし自身の視点か・・・。そういえば上司がどう思っているのか?ということが一番大きなわだかまりになっている気がする」
「ならば上司の視点なんか忘れてしまえばいいんですよ。自分は自分!褒めるのも諭すのも反省するのも全部自分の価値観で判断なさればいい。誰かと比較して、誰かに評価されて人は切磋琢磨して成長しますよね。でも自分が一番自分のことを分かっているはずなんです。だから自分を評価するメジャーは自分で持たないとね」
「メジャーは自分か・・・・」
あたしはなんとなくマスターがこれから教えてくれる言葉が永遠に心に刻まれるような気がして、バッグからペンを取り出した。
「例えば二人のお客様が全く同じカクテルを注文したとします。私は全く同じレシピと流儀でカクテルを作ります。でも同じカクテルをお飲みになったお二人のお客様が、全く同じ感覚を持たれるとは思いません。ある人は美味しいと言い、ある人は不味いと言う。でも私は私の流儀で寸分たがわぬカクテルを作っているわけで、人によってカクテルの味を変えたりはしません。自分のメジャーで『よくできた』と思うものをお出しします。つまり評価はまず自分が下すというわけです」
「何となくわかるわ。他のお店のバーテンダーが違う流儀でカクテルを作って、それがおいしいと評判だからと言って自分のメジャーを変えてしまっては今まで培った経験や流儀を否定してしまうことになるものね」
あたしは人からの評価ばかり気にして、今までのあたしを否定しかけていたのかもしれない。あたしはあたしの考えであたしの道を進めばいいじゃない・・・。 手元のメモ用紙にあたしは何度も「Measure」「私」と書き続けていた。書くたびにあたしの自信が蘇ってくる気がした。やがてあたしはペンを置き、フローズン・ダイキリを一気に飲み干すと、マスターに言った。
「多分、あたしは自分というメジャーを忘れてしまっていたみたい。いつもなら自分から『これ』って注文するここのメニューもマスター任せにしちゃったしね」
「そう。自分を忘れないことです」
「じゃあ・・・いつものジントニックいってみよう!」
あたしは右手を突き上げてマスターに微笑みかけた。そんなあたしを見てマスターが言った一言が心にしみた。
「あなたの魅力が復活した瞬間を見せていただきましたね。ありがとうございました」
あたしは笑いながらも目の奥から染み出るものを抑えられなかった。マスターを見つめながら小さな声でこう言った。
「ありがとう」
 

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