Bloody's Tea Room
Team SPIRITS Web Master 「Bloody]の趣味の世界へようこそ

2018/02/18 15:32更新 

当ホームページは[Bloody]の完全なる自己満足の世界で成り立っております。
読者の皆さんも喫茶店感覚でお楽しみください

 

〜Story28〜

Earth Power

ふと思い立ってどこかへ行きたくなることがある。何かのきっかけでその場所を見たくなることがある。その思いは急速に頭の中で膨らみ、無限に細胞分裂するかのように私の思考を支配する。そして私はステアリングを握る。クルマは時空を超えて人間の願望を実現してくれる。目的地に到着した時、私は喜びに満たされる。自分にとっての幸せはそんな小さなものでいい。

金曜日、午後6時。私は一週間の仕事を終え、クルマに乗り込んだ。いつもならば帰宅途中のレストランで食事をし、そのまま孤独な自宅へと戻る。時にはインターネットを楽しみ、時にはTV番組を見続ける。週末の2日間を楽しんだ後は、いつもの月曜日がやってきて仕事へと向かう。この日も特別に何かを考えるわけでもなく、いつもの日常の中にいた。
会社を出発し、私はステアリングを自宅方向に向けた。FMのトーク番組の軽妙な会話を楽しんでいた私の耳に、ふと「松尾芭蕉」という言葉が飛び込んできた。説明するまでもない江戸時代の俳人。どうやら松尾芭蕉の奥の細道に関係する都市の出身者を紹介する企画らしい。その時、私は急に「松島が見たい」とふと頭に浮かび、その思いが急速に広がってゆくのを感じた。宮城県の太平洋側、日本三景の一つ松島を詠んだ有名な芭蕉の句がどうしようもなく頭の奥に浮かび、増幅し、やがてすべての思考を満たしていった。
次の瞬間、私はクルマを高速道路に向けて一気に転回させ、北へと向かった。
「会社の帰りに松島を見に行くなんて最高じゃないか!」
私は自分の決断に自ら拍手していた。仙台まで約5時間。大したことじゃない・・・。

ノンストップで高速道路を一気に走り切り、仙台市内のサービスエリアに入ったのは午後11時ごろだった。何も用意して来なかったので、地図が付属したガイドブックくらいは必要だ。ここで私はあることに気付いてしまった。
「夜、松島を見に行っても何も見えないじゃないか・・・」
愚かにも仙台に到着するまで気が付かなかった。私は一人で苦笑しながらガイドブックを購入し、何も食べていなかったことを思い出してレストランへ向かった。レストランで食事をしながらガイドブックを確認すると、現在地から松島までは約1時間で到着してしまうらしい。私はこのサービスエリアで一眠りすることに決めた。
・・・素晴らしきかな、思いつき旅行・・・

翌朝4時に目覚めた私は一気に仙台市内を抜け、海岸沿いの道を松島に向かって一気に走り切った。朝早い海岸道路は通行量もほとんどなく、ウィンドーを下ろして潮風を感じながら快適なドライブは続いた。松島に到着するころには空が白み始め、幻想的な霧の中に徐々に松島が見えてきた。
松島海岸のコイン駐車場にクルマを泊めた私は、人がほとんどいない早朝の松島を散歩した。昼間であれば観光客でごった返す海岸も、朝5時であればシーンと静まり返っている。私は数千年の自然の営みが形成した小島の数々を眺めながら、自分の心が落ち着いてゆくのを感じていた。400qの道のりを突っ走ってきた疲れはない。そこにはちっぽけな自分を包み込む自然の大きさだけしかない。人工の音は一切耳に入らず、打ち寄せるさざ波と時折吹く風によってもたらされる木々のざわめきだけしかない。今更ながら自然というものの雄大さを私は感じていた。そしてこの自分の思いつき旅行に自ら拍手した。犬の散歩をさせていた老人の怪訝な目線を受け止めながら・・・。

2011年3月11日、未曽有の大災害となった東日本大震災が発生した。津波によってもたらされた甚大な被害は、人々の尊い命を奪い、生活を奪い、地形を変化させるほどであった。私は数年前に訪れた松島がどうなってしまったのか気が気ではなかった。隣の塩竈の町では市場も街も被害を受け、町としての機能が失われてしまった。毎日放送される現地からの画像の中に松島の状況を知らせるものはなく、また現地に行って確かめることもできない日々が続いた。
ある日、インターネットのニュースに「松島」を言う名前を見つけた私は、食い入るようにその記事と画像を読んだ。それによると、松島には津波がやってきたものの、島そのものの被害はほとんどなく、数々の小島に守られて松島海岸には津波も到達しなかったのだという。但し、橋などの人工建造物などはすべて流されてしまったという情報が記されていた。数千年の年月をかけて形成された松島は、その間に何度も津波の影響を受けてきたはずだ。その自然の形をそのまま保存してある松島は大震災でもびくともしない。松島の美しさはその必然から形成されたもの。どんなに人間が強固な防波堤を築こうとも、津波はそれを破壊してしまった。しかし自然が作り上げた松島の景観はどんな自然の驚異があっても失われることはない。松尾芭蕉と同じ景観を、200年の時を超えて目にすることができるのも、自然を壊さずにいたからに違いない。人間が大事にすべきもの、それは母なる地球なのだと私は思った。

地震の1か月後、私は再びクルマを松島に向けてスタートさせた。今回は「思いつき旅行」ではない。これからも永続的に松島を守ってくれるはずの宮城県の人々に少しでも援助ができればと思う。クルマには食料と燃料、そして衣類を満載した。自然の脅威で苦しんでいる人々に自然と共存してもらうために。そして未来に向けて希望を持ってもらうために・・・。

メニューへ

inserted by FC2 system