Bloody's Tea Room
Team SPIRITS Web Master 「Bloody]の趣味の世界へようこそ

2018/02/18 15:32更新 

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〜Story35〜

Focus

最近目が悪くなったらしい。いや、もともと私は近眼なので「最近目が悪くなった」というのは誤った表現かもしれない。どうも焦点が合うのに時間がかかるようだ。しかも近いところが・・・・。これって老眼?絶対に認めたくない。しかし着実にその症状は悪化の一途をたどる。自然の摂理には逆らえない。文庫本の文字が、パソコンの画面が、新聞の紙面がどんどん小さくなってゆく・・・いや、遠く離れてゆく。なんたることだ!人生40年、老いってのはこうやって感じてゆくものなのかい?

彼女とドライブに出かけた。幸いにも動体視力は衰えていないようだ。高速道路をちょっと飛ばして走っていても、ワインディングを小気味よく上っていても視界がぼやけることはない。ただ・・・助手席の彼女と目を合わすのに時間がかかる。どうしてもワンテンポ遅れる。目は人の心の生命線なのに・・・。
「最近、私の目を見てないよね」
彼女が突然言い出した。私はぎくりとして前方の路面を見つめながら答えた。
「いや、そんなことはないと思うけど・・・」
「ううん、絶対に視線が合う回数が減った」
「気のせいだよ」
私は助手席にチラリと視線を走らせながら努めて平静に答えた。もちろん彼女がこっちをじっと見つめているのは感じている。残念ながらその視線を一瞬で受け止めることは私には不可能だ。
「見てはくれているんだけど視線はからまないっていうか、焦点が合わないっていうか・・・」
彼女は独り言のようにつぶやいた。私はどうしても目の老化現象のことを彼女に打ち明けるのが嫌だった。
「そりゃさ、照れくさいからだよ。じっと見つめあうなんてなあ、柄じゃないし」
彼女は一応納得したようだ。「そっか!私の美貌がいけないのよね〜」とおどけると、これから向かう温泉の話に話題を変えた。

山の上の小さな温泉街は都会の喧騒と人口の明かりから逃れ、心を落ち着けるには最適だ。もちろん木々の緑も目に優しく、澄んだ空気は汚れた肺を浄化してくれるようだ。私たちはまだ日の高い時間にチェックインし、存分に自然に囲まれた露天風呂を堪能した。ハイシーズンとは言えない初夏の温泉は人も少なく、自然を丸ごと自分たちのものにしてしまったかのような贅沢を味わえる。
夕食は小さなお膳を並べての部屋食だった。浴衣姿でお膳を向かい合せて座椅子で食べる和食というのもまた心和むものがある。
「ねえ」
彼女が食事中に突然私に呼びかけた。
「ん?」
私は箸を止めて顔を上げ、彼女を見つめた。
「やっぱり焦点が合ってる」
「なんだよ、突然」
「さっきの話の続きだよ。今、呼びかけてこっち向いたときにはちゃんと目を見てた。でも車の中では焦点が合わなかった」
「ああ。あの話か。クルマの中じゃ運転しなきゃいけないから、ちらりとしか見ることできないじゃないか。今は真正面に座ってるし、ゆっくり見ることできるし」
「ううん。今は一瞬で焦点があったもん。クルマの時と違う」
「参ったなあ。別に意識してないんだけどなあ。これからは逆に意識しちゃうよ」
私はそう言って笑った。彼女は首を傾げながらも矛を収めてくれたようだ。その表情を見ながら、そろそろホントのことを言わなければまずいかもしれないと私は思った。
川魚と山菜を中心とした質素ながらも凝った夕食を終え、お膳が片づけられると、私たちは座椅子を並べて食後の日本酒を楽しんだ。温泉と和食と日本酒、この上ない贅沢かもしれない。
「ねえ」
彼女がまたもや突然私を呼んだ。
「ん?」
私は左隣に顔を向け彼女を見た。しかししばらくの間彼女は何も話さない。私の目がようやく彼女の目を捉え、視線が合ったときに初めて彼女が口を開いた。
「やっぱり遅い」
私は年貢の納め時だろうと天を仰いだ。
「ちょっと待ってて」
私は彼女にそう言い残すと洗面所に向かい、コンタクトレンズを外し、再び座椅子へと腰かけた。
「お待たせ」
ちょっと拗ね気味の彼女に向かってそういうと彼女はゆっくりとこちらを振り向いた。私の目は振り向く瞬間の彼女の目を追った。
「あ、見つめられてる!」
彼女はちょっとおどけた仕草をしながら笑った。そして右に左に視線を動かした。まるで私の視線を外そうとするかのように。私は彼女の視線をずっと追いかけた。外すまいとするように。
「最近さ、近いところのものに焦点が合いにくいんだよ」
私は自虐的に彼女に打ち明けた。
「1m位離れていると大丈夫なんだけど、それ以上接近すると焦点が合わん」
彼女はしばらくその意味を考えていたようだが、やがてクスリと笑い、そしてやがて大声で笑いだした。
「それってもしかして・・・」
「そう、老眼ってやつだな。コンタクトレンズつけてると近視矯正されちゃうから余計ひどい。コンタクト外せば自然に焦点合わせられるんだけど・・・」
私は大げさにため息を吐きながらそう告げた。
「そうか!それでいつもぼうっとしているような目になってたんだ。納得納得!寄る年波には勝てませんなあ」
彼女は私をまじまじと見つめ、再び大声で笑い転げた。
「笑うなよ。君だっていつかはそうなるんだぜ!」
ふてくされた私に対して、彼女は笑いを止めるとじっと目を見つめ、やがて顔をゆっくりと近づけてきた。目をしっかり見開いて視線はまっすぐにぶつかったまま。そしてそのまま彼女の顔が接近してきて、ついに鼻がぶつかった。
「いくらなんでもここまで近づくと私でも焦点合わないね」
鼻がぶつかったまま彼女はそう言った。私は目だけで笑った。彼女は鼻をこすり合わせてうなづくといきなり立ち上がり、窓へ向かって走り寄った
「いいなあ。おじいちゃんとおばあちゃんになったら、コンタクト外して一緒にいればいいんだよね。いつでもくっついてなきゃいけないもんね」
彼女の発想に私は笑った。なるほど、老眼になるってのはそういう効果もあったんだな。
「ねえ」
窓の外を見ていた彼女が私を呼んだ。私はゆっくりと窓に向かって歩いた。彼女の横に並んで外を見ると、彼女が空を指差した。
「きれいな三日月だね」
コンタクトを外している私には三日月は見えない。しかし私は
「うん」
とだけ答えた。私の答えに彼女は満足したようにうなずき、腕をからめた。

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