Bloody's Tea Room
Team SPIRITS Web Master 「Bloody]の趣味の世界へようこそ

2018/02/18 15:32更新 

当ホームページは[Bloody]の完全なる自己満足の世界で成り立っております。
読者の皆さんも喫茶店感覚でお楽しみください

 

〜Story40〜

What's Your Name ?

文字だけのシンプルな看板が気になって私はその店の扉を開けた。日付が変わって既に早朝と言えるような時間帯。予想通りカウンターだけのシンプルな店内には客がいなかった。モノトーンで統一されたインテリアが何となく無機質なイメージの店内。ボトル棚はガラガラでほとんど酒がない。店の佇まいからすると奇異な感じに見える。大抵こういう店ではボトル棚にはずらりと酒瓶が並び、貴重なシングルモルトが置いてあったりするのだが・・・。そして店内にはBGMさえも流れていない。従業員も見当たらない。そう、営業していないのか?と思うほど音がない。閉店してしまったのか?看板には明かりがついていたが・・・・。

私は仕方なくスツールに腰かけ、従業員が出てくるのを待った。灰皿がないが俺は構わずジッポーで煙草に火を着けた。ジッポー独特の「キーン」という音が店内に鳴り響いた。その音を聞きつけてか、奥から。
「いらっしゃいませ」
と声が聞こえた。
「すみません、お待たせしてしまいましたか?」
姿を現したのは白いカッターシャツにノーネクタイ、黒いタイトスカートを穿いた女性だった。年齢は30半ばに見える。
「営業、していますよね?閉店してませんよね?」
私は一応確認した。灰皿を出しながら彼女が答えた
「はい。営業は5時までです。今日はもう誰も来ないかと思って奥で事務仕事をしてました。気付かずに申し訳ありません」
「いやいや。邪魔をしてしまったようでこちらこそ申し訳ない」
「お飲み物は何になさいますか?」
私は再びガラガラのボトル棚に目をやった。この品揃えでは選ぶものも少ない。
「ではジントニックを」
「かしこまりました」
彼女は棚からボンベイサファイヤのボトルを取出した。
「あ、ジンはゴードンにしてください。ボンベイはもったいない」
彼女は一瞬手を止め、頷いてボトル棚からゴードンを取り出した。メジャーカップを左手に鮮やかな手つきでグラスにゴードンを注ぎ、トニックウォーターとソーダを取り出す。私は彼女の手つきを見ながら実は2つの驚きを感じていた。一つはトニックウォーターだけでなくソーダを取り出したこと。もう一つは彼女自身がジントニックを作っていること。
彼女は最後にライムを少し絞り、そのままグラスに入れて私の前に差し出した。コルクのコースターにグラスを置く音が低く響いた。私はグラスを持ち、ちょっと口を付けた。ここで私は今夜3度目の驚きを感じた。
「美味い」
思わず口に出した私に彼女はニッコリと微笑んだ。
「ありがとうございます」
「いや、お世辞ではなく本当に美味いと思いました。実はあなたの他にバーテンダーがいて、その方が作るとばかり思っていたので、あなたがメジャーを取り出した時にはちょっとビックリしました。そしてソーダとトニックのハーフにしてくれたことも驚きだった。いつもジントニックはハーフにするんですか?」
「いえ。いつもはトニックだけで割ります。お客様がジンの銘柄を指定されたので、甘すぎるジントニックはお嫌いかと思ってハーフにしました」
「これは嬉しいことを言ってくれますね。どこで修業を?」
「自己流なんですよ、私。元々場末のスナックみたいなところで働いていて、お酒と言えばブランデーか焼酎の水割りばかり作ってました。でも自分がこういう店に行くのが好きだから。好きが高じて自分で作ってしまって、今までの見よう見まねでやってるだけなんです。だからこの店は自分のための店。自己満足ですよね」
「いやいや、見よう見まねでやってるようには見えませんでしたよ。どこかの有名なバーテンダーについて修行したのかと思いました」
「いえいえ、とっても・・・。自分で作れるカクテルもまだまだ少ないんでボトル棚はがら空きですし。でも、自分が客だった時を思い出して、なんとなくお客様のリクエストを読もうとはしてます。ですからこの店ではお客様は必然的に私に観察されます」
そう言って彼女はクスリと笑った。笑窪がきれいだと私は思った。
「そういえば先ほど、『ボンベイがもったいない』っておっしゃいましたね。それはなぜですか?」
「ああ。ボンベイはきついですが、それだけで飲みたいくらい美味いんです。私にとってね。だからジントニックにしてしまうのはもったいないと思っただけです。それと値段もゴードンより高いでしょ?」
「そうでしたか。私、自分が客だった時に『高いお酒で造ってもらったカクテルは美味しい』って勝手に想像してました。これじゃあバーテンダー失格だわ」
「いやいや、個人の趣味の話ですから。大抵のお店ではカクテルにはもっと安いジンを使いますしね。経営的な問題で」
「そうですね。趣味でやってるようなものだけど採算も考えなきゃいけませんね。勉強になります」
彼女はぺろりと舌を出した。もしかしたら見た目よりもずっと若いのかもしれない。
「どうです?一杯奢りますよ。もう閉店でしょ?お酒が好きならば遠慮しないでください」
一瞬思案した彼女だったが、
「では私もジントニックをいただきます」
と自らグラスを取出し、私の前に置かれたゴードンのボトルを手に取った。彼女がジントニックを作る間、私は再び彼女の手元をじっと見つめていた。先ほどと寸分たがわぬ工程を経てジントニックが出来上がった。
「いただきます」
グラスを軽く触れ合わせた私たちはお互いに一口、透明な液体を喉へ流し込んだ。
「自分で言うのもなんですけど美味しいです。ゴードンのハーフは初めて飲んでみたけど・・・」
彼女はそういうと、ハッと何かに気づいたように奥へと姿を消した。再び現れた彼女から私は1枚の名刺を受け取った。名刺にはシンプルにバーの名前と電話番号、そしてひらがなで「あかね」と印刷されていた。
「あかねさん、か」
「違うんです」
「え?」
彼女は私から名刺をさっと取り返すと裏にサラサラと何か書いて、再び私に手渡した。裏側を表にして。
「私の名前は舘野飛鳥。あかねは前に働いていたスナックの源氏名なんです」
私は名刺を再び表に裏返した。書かれた店の名前は[Flying Bird」。私はそれを指差して無言で彼女に見せた。彼女は嬉しそうに笑った。
「本名のほうがいいのに」
私がそういうと彼女はちょっとさびしげに笑った。
「私が独立して店を出す時に、結局お客さんに来てもらわなきゃいけないから源氏名を使わざるを得なかったんです。一度源氏名で通してしまうとなかなか本名に戻れない。だからいつまでも私はあかねでいるしかない。お客さんにもけっきょくあかねで覚えてもらうしかない」
「本名は教えないの?」
「聞かれたこともないし」
「でも、私には聞かれていないのに本名を教えてくれたよ」
「なぜかしら。よくわからない。でもあなたには『あかね』と呼んで貰いたくなかった」
私は思わず彼女の目を見つめた。二人とも目元で笑っていた。私は一気にジントニックを飲み干すと、
「もう一杯いただこう。そしてあなたの分ももう一杯。二人でこの店のお客として飲みましょう」
彼女は小さな声でこう答えた。
「かしこまりました。看板の電気、消しますね」

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