Bloody's Tea Room
Team SPIRITS Web Master 「Bloody]の趣味の世界へようこそ

2018/02/18 15:32更新 

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〜Story43〜

Magic Train

大阪駅23時・・・既に帰宅ラッシュはなりを潜め、ちょっとほろ酔いの乗客が帰宅電車を待つホームとは全く異なる空間がある。北陸へ向かう長距離列車が出発する11番線ホームには独特の雰囲気が漂う。しんと静まり返ったホームでは売店の営業もなく、わずかな人数の旅行客が静かに列車を待っている。かつて日本のどこでも見られた夜行列車を待つ光景。それがここにはある。しかしかつてのような発車を待つ賑わいはない。そこには独特の倦怠感と音のない世界だけが広がっている。

やがて11番線にひときわ高いホイッスルが鳴り響き、夜行列車が入線する。高度経済成長を支えた寝台電車の末裔が、大阪と北陸を結ぶ幹線でひっそりと生き残っている。世界初の寝台電車と謳われ、昼夜を問わず山陽、九州と東北を行き交った長距離特急列車で華々しくデビューした車両も、寄る年波には勝てず、どこかしら寂しそうだ。そして「この寝台電車に乗り込んでゆく乗客たちの表情にも明るさは感じられない。

私は北陸へ向かう旅の移動手段として最後の寝台電車を選んだ。私が幼いころ、この電車は遠くへ旅行するときのまさにあこがれの存在だった。特急料金は当時の生活水準から考えればかなり高く、さらに寝台車ともなればとても子供の小遣いで乗れるものではなかった。成人し、社会人になってゆとりが生まれたころには、今度は自分自身の時間が取れなかった。そして今、この電車たちの耐用年数が訪れ、永遠に消え去ろうとしていた。そこで私は無理をしてでもこの子供のころのあこがれに乗っておこうと心に決めた。時間がかかろうと、料金が若干高かろうと問題ではない。子供のころの夢を実現するのだ。

列車に乗り込む人は少ない。私の乗った車両にはわずかに乗客6名ほど。これでは存続が難しいのもわかる。私はB寝台の下段にもぐりこんだ。昭和42年に設計されたこの車両の内装は実によく考えられている。昼間は寝台をたたんで座席の特急列車として運行できるように、寝台の構造はギミック満載だ。なんと言っても中段寝台と上段寝台は網棚より上にリンクを介して折りたたんでしまうことができる。このような空間設計のからくりを考え出した、高度経済成長時代の設計者に拍手を送りたくなる。私はしばし、そのメカニズムの持つ機能美に目を奪われた。

列車は時刻通りに大阪を出発した。発車アナウンスも見送る人の姿もない。40年前とは隔世の感のある発車風景。静かな旅立ちの景色がそこにあった。乗客のほとんどいない車内は静寂そのものだ。翌朝までの停車駅に関して延々とアナウンスをする車掌の声が響き渡る。録音音声が流れる現代の電車にはない肉声の温かさが心に染みる。

京都に到着するころには既に日付が変わっている。京都駅から若干の乗客が乗り込んできた。私の周囲にはそれまでほとんど乗客がいなかったのだが、目の前の寝台ボックスに一組の老夫婦が乗り込んできた。
「こんばんは」
老夫婦は二人で声を揃えて私に挨拶を送ってきた。私も微笑んで挨拶を返す。老夫婦は中段に男性、下段に女性がもぐりこむらしい。大きな荷物を持った二人は、その荷物をどこにおけばいいのか思案しているように見えた。
「上段寝台に乗せてしまえばいいんですよ」
私は老夫婦に話しかけた。
「おそらく上段に来る客などいないでしょうから、荷物置き場に使っても文句は言われませんよ」
男性のほうが「そうか」と頷いて荷物を上げようと持ち上げた。しかし、上段寝台が高すぎて届かない。
「私が上げてあげましょう」
私は老夫婦の2つの大きなスーツケースを上段寝台に持ち上げた。かなり重い。
「どちらまで行かれるのですか?」
私が訪ねると、終点の新潟までだという。
「私も新潟までですから、降りるときに荷物もおろして差し上げましょう」
と言うとちょっとほっとした顔をしていた。さすがに二人では荷物を下ろすのも難儀するだろう。
荷物が片付いて落ち着いたところで、老夫婦はお茶とおにぎりを取り出して下段に並んで腰を掛けた。
「お兄さんはどこまで行くのかね?」
男性から話しかけられた。
「友人がいるので山形まで行きます」
「なんでこの列車を?山形なら新幹線を乗り継いだほうが速いでしょう?」
「新幹線は味気なくって。しかもこの列車ならば明日の昼には山形県に入れます。お二人はどちらまで?」
二人は一度顔を見合わせて女性のほうが答えた。
「私たちは新潟に住んでいるんですよ。京都旅行の帰りです。飛行機は窮屈だし、乗り換えのないこの列車が一番便利なのよ、私たちみたいな老人には」
「特急は直通列車がないですからね」
私は大きく頷いた。すると男性のほうが言葉を引き取るように続けた。
「私がサラリーマンだったころは、どこへ行くにも乗り換えなしで行けたもんです。時間はかかったけどね。新潟から大阪だって直行が何本もあった。食堂車で食事をしながら日本海を眺めて過ごしたもんです」
「私がまだ子供のころの話ですね。長距離列車は私の憧れでした。私の今回の旅行も、子供のころの夢をかなえるためなんです」
男性は私の言葉を聞いてうれしそうに語った。
「今回もね、こいつと一緒に旅行するのにほら、女は旅慣れてないから。だから乗り降りとか乗り換えとかできないと思ったわけですよ」
「でも、この列車もなくなっちゃうんですよね」
「え?そうなの?」
女性が驚いて聞き直した。
「ええ。間もなく廃止されると聞いてます。ですから早いうちに乗っておかないと永遠に乗れなくなっちゃうというのも、私がこの列車を今日チョイスした理由の一つです」
「それは残念ね。まだまだ使えそうなのに」
女性のほうが言葉少なに頷いた。
「でも、この列車は昭和42年設計だから無理もないだろう。もう40年以上使っているわけだし。登場当時は世界初の寝台電車として国際的に有名だったんだ。新幹線と並んでまさに日本の経済成長の鏡のような存在だった」
男性はちょっと遠い目をしながら独り言のようにつぶやいた。私はちょっと驚いて聞いてみた。
「もしかして、鉄道関係のお仕事をなさっていたのでは?」
男性は照れたように答えた
「実はこれ、私も設計チームにいたんでね」
今度こそ本当に私が驚いた。
「ええっ、この583系電車を設計されたんですか?」
「ええ。寝台の収納機構の設計に携わってましたよ。構想後1年で仕上げなければいけなくて大変でしたよ。でも”世界初”っていう言葉には奮い立ったなあ」
「それは・・・お会いできて光栄です。この車両の設計の秀逸さは私でもよくわかりますよ」
その後、私たちは寝台電車について大いに語り合った。細かいことはわからないであろう女性のほうはただ頷いているだけだったが、夫の活き活きした顔を見ながら微笑んでいた。結局私たちの会話がひと段落したのは敦賀駅を出たころ。既に室内は減光され、ジョイント音だけが静かに響いていた。
「そろそろですね」
「はい」
私と男性は知るものしかわからない会話をつぶやいた。女性はきょとんとした顔をして二人を交互に見た。その瞬間、車内の電灯が全て一斉に消え、10秒ほどたってから再び点灯した。
「さて、これを見たから寝ましょうか?」
私が男性に提案した。男性も頷き、私はベッドにもぐりこんだ。ベッドの向こうからは女性が男性に今の消灯がなんだったのか聞いている声が聞こえた。交直流デッドセクションの説明をする男性の低い声が心地よかった。

翌朝、窓の外は一面の雪景色に覆われていた。遠くへ来たという実感と共に「旅情」という言葉が脳裏に浮かんだ。
かつてこの電車は一晩で人々を遠くに運んでくれる「魔法のじゅうたん」だった。そして今でもその使われ方は変わらない。新幹線がいくら速くても、飛行機がいくら大増発されても、この旅情は再現できないはずだ。そしてそこには昭和の活気ある日本が垣間見える。日本を支えた「魔法のじゅうたん」と、その生みの親に拍手を送ろう。間もなく終着駅の新潟だ。「老夫婦の荷物を下ろしてあげねばならないな」と私はなんとなく雪景色を見ながら思っていた。
 

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