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〜Story44〜 Twenty Years After 21世紀に入って10年、世界は大きく変わった。インターネット、携帯電話などのインフラ整備や高速道路、新幹線と言った交通網の整備が進み、今や日本全国どこでも・・・いや世界中どこでも、どこにいても距離と時間を感じさせない世界になった。そしてその世界の発達は、その中で生きる人たちの結びつきさえも変えてしまったようだ。 高校を卒業してから20年、私は高校時代の同窓生と卒業以来全く連絡を取らなくなっていた。別に嫌いだとか嫌われていたとかそういう話ではない。卒業後の進路が違っただけだ。彼らはより高いレベルの大学をめざして勉強を続け、私は合格した2流の大学に進んだというだけのことだ。当時は連絡を取り合うにもお互いの家の電話か公衆電話だし、交通手段は徒歩か自転車。住んでいる地域が5q離れれば「遠い」と感じる世界がそこにあった。 私が同窓生たちと再び連絡を取りあうようになったのは、急激に発達したSNSサービスのおかげかもしれない。お互いに社会人になってから15年を超え、生活に安定が出てきたこの時期に急激に発達したインターネットを用いたコミュニティツールに手を出さないわけがない。そんな中、ふとしたきっかけで始めたSNSサイトに出身高校を掲載したところから、一挙に20年の時をさかのぼる出来事が生まれることとなったのだ。
彼女は高校時代、そう目立つ存在ではなかったように思う。いつもどこかのグループの中にひっそりといて、そう大騒ぎするタイプではなかったからだ。片や私は勉強よりも遊びが好きな典型的「放課後男」で、彼女からすると幻滅の対象でしかなかったに違いない。お互いに近づくことさえあまりなく、お互いがどういう人間なのかよくわからなかったというのが本音だ。ただ、彼女が同級生と話をしている時に「ええっ」っと驚く姿はよく目にした。彼女のあだ名がその口癖から「えっちゃん」と呼ばれていることも知っていた。でもそれだけの関係だった。
私は高校時代に居住していた首都圏から、遠く離れた京都で仕事に就いていた。別に京都がよかったから選んだわけでもなく、就職をし、転勤をし、いろいろな人生経験をした結果、たまたま今の勤務地が京都になっただけのことだ。私自身、早くなった新幹線と便利になった高速道路のおかげで関東と京都の距離感は全くないに等しい。実際に出張などで新幹線に乗るのは日常茶飯だったし、毎週500q移動するなどと言うのも気にもならない。でも関東から京都に単に会いに来るというのはちょっとビックリした。
京都駅から徒歩でも行ける距離に東寺がある。新幹線の車窓からも眺めることができる五重塔は京都の象徴だ。私はここの庭園とその池に映り込む五重塔が好きだった。だから彼女との待ち合わせは東寺にした。折しも桜の季節を迎え、春のうららかな陽の光に満ちた午後、私たちの20年を埋める再会のシーンがやってきた。
高校を卒業してからのお互いの身の上話は長かった。あっという間だったような気もするし、長い長い時間だった気もする。しかし会社の同僚などと違って何の損得も考えずに話をできる、何の虚飾もなく話をできる空間がそこにあった。同級生と長く絶縁状態にあった私には、その空間が新鮮だった。そこで口を開いていたのはむしろ彼女より私のほうが多かった。私の身の上話を聞いていた彼女は、何かと言うと
えっちゃんとの再会から、私のSNSに対する見方が変わった。単なるコミュニティツールから、時空を超えたタイムマシンであると。ただ、SNSの中だけで会話をしている間はバーチャルであることは変わりない。しかしそこから現実として再会、出会いが生まれたときに、時を越え、距離を越えて親密さが生まれてくる。昔の人が成し得なかった環境を現代の私たちは手に入れることができる。バーチャルな世界だけではなく、行動することでこそ現代のツールを生かすことができる。そして人と人は未来へとつながってゆく。それを教えてくれたのは20年前からやってきた私の同級生だった。 |