Bloody's Tea Room
Team SPIRITS Web Master 「Bloody]の趣味の世界へようこそ

2018/02/18 15:32更新 

当ホームページは[Bloody]の完全なる自己満足の世界で成り立っております。
読者の皆さんも喫茶店感覚でお楽しみください

 

〜Story33〜

With only Baggage

連休初日、彼はふと思いついた。
「電車に乗ろう」
彼は身の回りのものをお気に入りのバッグ1つに詰め込み、駅に向かった。
どこへ行くかなんて決めていない。どこに向かうかも解らない。
ただ言えることは、この3連休に自宅にはいたくないということ。日常から離れること。

彼は子供の頃から旅が好きだった。夏休み、冬休みなど長期休みには必ず汽車の旅を楽しんだ。
もちろん子供には財力はなく、なけなしの小遣いで行く旅は波乱万丈。
当然ながら特急列車などは高嶺の花。各駅停車でのんびりと、売るほどある時間を有効に活用して旅を楽しんだ。
行く先々で出会う人々は皆優しく、小学生である彼を温かく迎えてくれた。見ず知らずのおばさんに弁当をご馳走になったり、相席になったお姉さんに漫画をもらったり。そんなゆったりとした旅が、彼の心を和ませた。

駅に着いてから彼は考えた。さて、どこに行きたいか?
彼の頭にふと浮かんだ言葉は「リアス式海岸」。
東北の太平洋岸、気仙沼市周辺にある有名な海岸は、子供の頃から彼が行きたかった場所であった。
もちろん現在は社会人である彼にはそこそこの財力はある。子供の頃のように各駅停車で行く必要もない。新幹線に乗って2時間半、ローカル線に乗り換えてさらに1時間半、彼は目的のリアス式海岸に到着した。
ノルウェーのフィヨルドのような波で浸食された海岸線は、東北の荒波の歴史を語る。
彼は子供の頃からの夢がかなった充実感に浸りながら、海岸からの風に向かって1時間ほど立っていた。

夕方、海は凪を迎える。いままで吹いていたかなり強い西風がぴたりと止み、波は落ち着き、あたりが急に静まりかえる。
彼は凪になって初めて時間の経過を意識した。
「そういえば今夜の宿も考えていなかったな」
気仙沼の町に戻り、なんの変哲もないビジネス旅館に投宿した彼は、突然の思い付きによって過ごすことが出来たこの日をうれしく思った。
ただ一つの心の引っ掛かりを除いて。

子供の頃の旅にお金はなかった。各駅停車でのんびりと旅をしていたあの頃は、特急列車が憧れだった。
今はお金もあって特急列車どころか新幹線にも簡単に乗れる。行きたいともう所にすぐに飛んでいける。
でも、このような旅は心の充実感がなんとなく足りない。一番足りないのは「時間]。
明日には東京に戻らなければならない。明後日には会社に行かなければならない。
そういう時間に縛られる自分は、子供の頃と同じ経験はもう出来ない。
「もっと余裕が欲しい」
彼は切に願った。

翌日午後5時、上り新幹線に乗る彼は思った。
「必ずここにもう一度来る。各駅停車で。このバック一つで」
発車のベルが鳴り響き、静かに新幹線が出発した。

メニューへ

inserted by FC2 system