Bloody's Tea Room Team SPIRITS Web Master 「Bloody]の趣味の世界へようこそ 2018/02/18 15:32更新
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〜Story50〜
Moon Light
人生が70年としよう。その70年のうちに何回満月を見ることが出来るのだろう。満月は30日に一度やってくる。約1年に12回の計算だ。一生のうちに満月に遭遇するチャンスは820回。これを多いと見るか少ないと見るか、それは見るものの心にかかっている。 特に[中秋の名月]と呼ばれる9月の満月は、1年に一度。つまり人生で70回だけチャンスが存在する。 秋の月がもてはやされるのには理由がある。空気が澄んできてくっきりと夜空が見える季節、さらに台風や秋雨前線による天候の悪化が頻繁なこの季節だからこそ、その希少価値が旧来の日本人の心に[貴重]として刻まれたことは想像に難しくない。 だが、[中秋の名月]を素晴らしいものとして捉える者のなんと少ないことか・・。世の中は便利になり、スピードの時代になり、人の興味は様々なものに向けられるようになった。 旧来の[侘び・錆]と言われる日本人の感性は鈍くなり、それとともに自然を忘れ、空を見上げる人々も減った。 ただ、[中秋の名月]を望み、空を見上げる人々がいなくなったわけではない。素晴らしい空をその人生の重要なシーンに刻む者も必ずいる。そしてその人数がいくら減ってもゼロにはならない。なぜなら、人は人である前に自然界に生きる動物であるから。 大都会から3時間。海と山とが雄大な景色を展開するリゾート地。僕たちは日常から離れてここにいた。 僕たちに必要だったのは[日常]という雑多な毎日から離れることと、[時間]を長く共有するため。 朝から存分にその時間は過ごすことが出来た。素晴らしい景色、素晴らしい食事、素晴らしい風と陽射し・・・・ 日が沈み、夕食を済ませた後、僕は彼女に提案した。 [このひなびた温泉街を散歩してみないか?] 彼女は朝からの旅でくたくただった。 [いいけど、かなり疲れているから近くでね] 僕ももちろん彼女に疲れが溜まっているのは知っていた。 [無理をしなくてもいい。僕はちょっと酔っているから酔い覚ましに歩きたいだけなんだ」 彼女はちょっと微笑んでこう返事をした。 [だったら悪いけど1人で散歩してきて。私は待っているから。早く帰ってきてね」 僕ももちろん異論はなかった。散歩したいのは旅行先での癖であっただけだから・・・。 [わかった。ちょっとだけ散歩してくるよ] 僕は温泉宿以外は店もほとんどない夜の街に出かけた。 隣の駅には有名な温泉街が広がり、夜の街もにぎやかだ。ところがこの温泉街は夜の8時だというのに開いている店もない。仕方なくコンビニエンスストアで缶ビールを1本買い、海岸へ足を向けた。 [海岸で1人缶ビールを飲むのも悪くない」 僕は缶ビール片手に海岸線へと足を進めた。季節外れの夜の海岸、もちろん誰もいない。砂浜に打ち寄せる波の音が徐々に大きくなり、津波防止の防波堤が彼の前に立ちはだかった。 その時、あたりが妙に明るいのに気がついた。影が路面に伸び、人工の明かりがない空間がぼんやりと照らされている。 「?」 僕は疑問を解決するためにその光源を見上げた。 [月光!] 頭に浮かんだのはその言葉だけだった。月はしっかりとあたりを照らし、その存在感を訴えかける。そして月に照らされた何もかもが彼の前ではシルエットになって幻想的な情景を展開していた。 まだ封を開けていない缶ビールを持ったまま、彼はしばらくその場に立ち尽くした。 やがて僕は防波堤に登り、缶ビールの栓を開けた。月に向かって缶ビールをかざすと、まるで月が缶ビールを飲んでいるかのように見えた。 その時、ジーンズのポケットで携帯電話が振動した。 [もしもし] [私よ。あんまり遅いから気になって電話してみたの」 [ゴメン。実はさ・・・] 僕は一瞬の間を置いて言いたい言葉を変えた。 [海岸まで出ておいでよ] [私はもう眠いわ。1人で楽しんで」 [絶対に損はさせない。だから海岸まですぐ来てくれ。多分、今海岸に来なければこの旅行の意味がなくなる] 彼女はため息をついてこう言った。 [とても強引ね。何があるのよ] [とにかくおいで。百聞は一見にしかずだよ] [わかった。でもつまらないことだったら明日の昼食はうんと高いものを注文しちゃうからね」 ちょっと強引過ぎたかもしれないが、言葉で表現するにはあまりにも月が素晴らしかった。 しばらくして背後から足音が聞こえた。僕はわざと振り向かずに防波堤で1人缶ビールを傾けていた。 [うわぁ] 背後で彼女の声が聞こえてからゆっくりと僕は振り向いた。 [強引に誘った時につまらないなんてことあったっけ?」 彼女は無言だった。目線は僕を通り越していた。その時僕はちょっと悔しかった。彼女の視線は月に釘付け、僕ではない。 [1人で楽しんでたのね!] 彼女はちょっと悔しそうだった。 [だって、一人で散歩に行けって言ったのは君だよ] 僕は防波堤から飛び降りると、缶ビールを彼女に渡した。 [月に向かって乾杯しなよ] ちょっといたずらっ子のように彼女は笑い、月に向かって缶ビールをかざし、一気に飲み干した。 [酔いそう] [酔えばいい。だって一生になんども見られるものじゃないからね。そんなときは我を忘れて酔えばいい。] [そんな大げさな] [大げさではないよ。僕だってこのシーンに酔ってしまってるのだから] [月に?] [いや、この月光に照らされる君を見ることが出来たことに] 彼女はしっかりと僕の目を見据えて近づき、首に手を回して耳元で囁いた。 [中秋の名月はずっと私と見てね。そして月光を正面に受けた私をしっかり見て」 僕はこれから始まる新たなる生活を月光に祈り、彼女をしっかりと抱きしめた。
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