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2018/02/18 15:32更新 

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〜「Bloody」の 寝台特急旅行記(東北編)〜

旅と言う言葉で連想されるのは昔の長距離列車の旅ではないだろうか。「ブラッディー」も子供の頃から列車のたびが大好きで、よくブルートレインに乗ったものである。
深夜の「カタコトカタコト」を聞きながら本線を突っ走るブルートレインに乗ることは憧れでもあった。
しかし、新幹線時代の今、「夜行列車」そのものがなくなろうとしている。実に寂しいものである。旅情と言うものが希薄になってきた今だからこそ、「ゆっくりのんびり行こうよ」と言いたい。
そして、今回は12月の東北新幹線八戸開業に合わせて、伝統のブルートレイン「はくつる」が廃止されるという噂を聞きつけ、十和田への出張往路に寝台特急「はくつる」を利用してみることにした。その旅行記を一挙掲載。

プロローグ

寝台特急「はくつる」は昭和39年、 上野発青森行きの東北本線最初の寝台特急として誕生した。以来38年間東北本線の寝台特急として活躍。平成14年12月の東北新幹線八戸開業で姿を消すこととなった。
最後の「はくつる」の車両は24系25型客車の12両編成。最近の在来線特急では長い編成である。
但しこの車両の製造は昭和49年から54年まで。すでに20年選手なのである。12両編成の内訳は、
1号車:ごろんとシート:寝台車ながら布団設備がなく指定席料金で乗れるお得な車両
2号車〜9号車:B寝台:2段式寝台で4人がワンボックスになっているオーソドックスなタイプ。料金は6300円
10号車:A寝台シングルDX:いわゆるA寝台個室。料金は10500円
11号車:B寝台レディースカー:普通のB寝台だが女性専用車
12号車:電源車:客室の電源を供給するために2基のディーゼル発電機を装備している。客は乗れない

機関車は上野ー黒磯をEF81型、黒磯ー青森をED75型が担当する。こちらの機関車たちも20年選手。

大宮:21:30
前日の会津グランドツーリング画像をCD-Rに落として、「す5046]さんに渡す。場所は「す5046]さんの勤務場所である大宮。ここで中華料理屋でビールを飲みながら夕食を食べる。これはよく眠れそうだ。
1時間ほど飲み食いしたあとに「す5046]さんと大宮駅構内で別れる。別れ際につまみをお土産に買ってもらう。(ありがとう!)「ブラッディー」はロングカン1本を買って夜汽車に備える。
そして大宮駅9番線ホームへ。帰宅ラッシュは継続中。みんな家路を急ぐサラリーマン、OLばかり。

出発:22:50
「はくつる」が入線してくる。すでに乗客がかなり乗っている。機関車EF81の先頭には伝統のヘッドマークが!
しかし、客車はところどころ塗装が割れ、ブルーの色も車両によって違う。さらに帯の色も銀、金、白の3色が入り乱れており、一時のブルートレイン黄金時代は見る影もない。
・・・あのころは全車両の色が統一されたぴかぴか列車だったのに・・・

「はくつる」入線!

車内物色
今日の乗車はB寝台の7号車13番下段。7はラッキー13番は不吉?同じボックスにはサラリーマン風の一人の乗客がいた。彼とは会話なし(だって難しい顔して本読んでいるんだもん)
まずは、寝台に腰を下ろしてロング缶を飲む。当然つまみは「す5046]さん差し入れのチーカマ!うまいのよ!これが。
大宮を出発しても車内アナウンスは一切なし。なんで?と思っていたら、23時に車内が減光されてしまう。そうだった、23時から6時までは車内アナウンスをやめるんだ(昔、小学生のときの記憶がよみがえる)
暗くなった車内に「コトコト]線路の音が響く・・・いい感じである。
ビールを程なく平らげて早速車内の物色に回る。すでに浴衣に着替えている人もいてお休みモードなので静かに!


まず、これがB寝台(私の乗った車両)。左が初期状態で右が布団を敷いた図
なかなか合理的に出来ている。備品はシーツ、枕、ハンガー、毛布、浴衣、スリッパ
カーテンは内側からベルトで完全密封できるので、プライバシーも保たれる。

  
感動だったのはこの二つ。左は上段に登るための梯子。窓のまん前にあるので、梯子のままだと景色を見るのに邪魔になる。よって折りたたむことによってただの棒になる仕掛け。左が折りたたみ状態。右は開いた状態。
そして一番右は通路にある折りたたみ椅子。寝台利用中はガサゴソすると他のお客様の迷惑になるので通路でちょっと座れるようになっている。その昔は寝台設営中の退避場所だったらしい。


私の乗ったのは「オハネフ25」型の116号車。
この車両は昭和52年製で、新製直後は東京の品川客車区に所属。九州行きのブルートレインに使用されていた。小学生の頃、九州行きブルートレインは高嶺の花、まさにプラチナチケットだったのである。


それを裏付ける証拠がこれ。行き先表示機の内側のふたを開けてみると、当時の行き先表示がそのまま貼り付けてあった。列車名が「富士」「はやぶさ」「あさかぜ」「彗星」「あかつき」「明星」などなど。
行き先は「西鹿児島」[博多]「熊本」「長崎」・・・・


そして、この車両には最後尾のテールマークがついていたので記念撮影。ちゃんとテールマークも「はくつる」になっていた。
ところで、「オハネフ25]という読み方について解説しよう。
オは重量を示す。5トン単位で下から「ナ」「オ」「ス」「マ」「カ」というように客車は重量表記が最初に来る。これは牽引できる機関車を選定する基準を出すために、編成単位での重量を算出しやすくするため。
ハは「イ」「ロ」「ハ」の「ハ」。つまり3等車。現在はグリーン車と普通車しかないので、「イ」は存在しない。この場合の「ハ」は普通車を示す。
ネは「寝る」の「ネ」つまり寝台車ということ。「ハネ」でB寝台車を示す。
フは緩急車。つまり最後尾車のことで車掌室がある。だからこのテールマークがついているのである。
25は24系客車の25型。つまり単なる連続番号である。

トイレの脇には飲料水タンクがあった。寝台車ならでは。

そして今回最大の収穫がこれ、A寝台個室シングルDXの室内。勝手に写真撮っちゃった。
洗面台に鏡、デスクが装備されている。但し狭い・・


宇都宮:0:01
車内をうきうき歩いているうちに宇都宮到着。日付が変わる。

車内を歩いて思ったのは、「以外に人が乗っている」ということ。11両編成で約3割くらいか?
下段は4,5号車以外ほとんど埋まっており、「これだけ乗っていればいいじゃん、廃止しなくても」と思ったりする。
A寝台も14室のうち5室はお客様が乗っていた。
レディースカーにはさすがに足を運ぶことは出来なかったが・・・。

黒磯:0:40
実は時刻表上では「はくつる」は黒磯には停車しないことになっている。しかし、ここで直流と交流が入れ替わるため、機関車を交換するのである。そのための停車であって客扱いはしない。よってドアも開かない。
この停車のことを「運転停車」という。昔、西村京太郎の推理小説トリックに使われたっけなあ。
国鉄時代の駅名看板を発見!懐かしい形状
この時点で1時。そろそろ眠い・・。寝ることにする。

盛岡5:50
よく眠れたほうである。ただ、進行方向に直角になって寝るのはあまりよろしくない。
というのも、加速、減速で体が横揺れするのが激しいのと、カーブでロールすると体の上下方向にGが来るのである。寝台は進行方向と水平に設置するのがいいんじゃあないかなあ。
盛岡発車後に車窓に目を移してびっくり!ゆ・・雪だ!まだ紅葉していない葉っぱの上に雪が積もるという異常な状態。最近の気候はおかしいのかなあ?とにかく今冬?初の雪見である。

そろそろ目が覚めている人も多く、みんなで雪にびっくりしていた。
洗面所にもちらほらと人が出てきて、洗顔などをしている。夜行列車の朝の風景である。

そして6:00に減光が解除されて明るい車内が戻ってくる。車内アナウンスも再開。昔ながらのオルゴール(なんと20年前と同じでした)が鳴って、車掌さんの「おはようございます。現在の時刻は10月29日午前6時、特急寝台はくつるは時刻どおりで運行しております」で始まる。
ここからの停車駅は一戸、二戸、三戸、八戸、三沢、野辺地、青森である。

八戸:7:00
ここは東北新幹線開業に合わせて急ピッチで工事が行われている。ここからは立席特急券での乗車が可能。昼間の特急と変わらない出張者などの乗客が乗り込んでくる。

左が東北新幹線八戸駅。右は偶然試運転で停車していた、八戸から函館までを連絡する予定の特急「スーパー白鳥」号用789系特急電車。JR北海道が誇る最新の電車である。

三沢:7:16
私は十和田市まで行かなければならないのでここで下車。夜行列車の旅を満喫しました。
最後に外に出てみると、さすがにくたびれた客車が連なっていた。

手前と向こうの車両の色、帯の色が違うのが分かる?    はくつるの後姿


20年ぶりの寝台特急の旅はまさに「タイムスリップ」でした。小学生の頃にあこがれて乗っていたブルートレインの末路を見ると、「時代が変わったなあ」というのが感想。
でも、こういうゆったりした旅の楽しみ方があってもいいんじゃあないかなあ。
今度はブルートレインで九州まで行って見よう!


 

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